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疲れます

回答数回答 2
有り難し有り難し 40

最近人と接することが苦痛です
相手に求めすぎなのはわかっているつもりですが、あまりに自分勝手な人たちにいつも『なぜ自分だけが』と思ってしまいます
自分の中の常識と周りの常識の温度差に困惑します
育ってきた環境が違うのだからと納得しようと思うのですが、疲れます
どう考えればどう接せればよいのかわからなくなりました
ご指導いただけますようお願い致します


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の常識、他人の非常識。自分の非常識、他人の常識。

あやさん、初めまして。
沙門 亮鷹と申します。

>自分の中の常識と周りの常識の温度差に困惑します
育ってきた環境が違うのだからと納得しようと思うのですが、疲れます

常識というのは人それぞれ大なり小なり異なります。
また人間同士、相性というものもあります。
それを認めてしまいましょう。
価値観、温度差があって当然、人間だもの。

あまりに非常識な人、付き合うのがすごく疲れる人は距離を置いたり、極力関わらないように、仕事等でどうしても関わらないといけなければ「宇宙人?」だと思って否定せず認めてしまいましょう。

そのことを割り切って、認めてしまえば楽になりますよ〜^^

抱え込み過ぎないように、頑張りすぎないように、自分にも周囲の人にも優しい寛容に毎日を過ごせたらいいですね。合掌(^人^)

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有り難し
おきもち

未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸いです。 私自身、いわゆる「お寺の息子」として生まれましたが、小さなお寺ということや両親の教育方針もあり、感謝すること、仏様、お大師様に手を合わせることの大切さは教えられてきましたが、後継者としてのプレッシャー等は全くありませんでした。 実際、当初は仏門に入る心づもりなどなく、仏教とは関係のない分野の理系大学に進学し、在学中に起業。 仲間とIT系の会社を立ち上げたり、飲食業や人材派遣などの運営企画に携わる傍、ディスコやクラブのDJやバーのマスター、占い師(手相、姓名判断、九星気学、宿曜)としても仕事しておりました。 が、その中で思うことが度々あり僧侶を志し、お大師様とご本尊様のご加護のもとご縁に導かれ仏門に進みました。 今もいつもお大師様とご本尊浪切不動明王様方にはお導き頂き、助けて頂いております。 (趣味程度ですが、暦の研究や宿曜経の読解、気学をメインに占いは現在も嗜んでおります) 「目に見える世界」「目に見えない世界」を共に大切にして釈尊の末弟、宗祖弘法大師空海の末弟として、真言僧侶の立場、金剛乗仏教・密教の観点からお答えさせていただきます。 皆様からの相談を通じて、また他の僧侶の皆様のご回答を通じて多くを学べればと思います。 皆様との御法縁に感謝して精進してまいります。 煩悩即菩提 即事而真 当相即道 また自坊(金剛寺)では護摩祈祷会や阿字観体験会(阿息観による密教瞑想体験)も開催しております。 また自治体や地元社会福祉協議会様や企業、団体様より依頼を受けて法話(講話)や瞑想指導を不定期で行っております よろしくお願いいたします。 合掌
可否が時期によります ご相談ください

損得の価値を抑える

疲れるけれど、なんだかんだと言いながらこなしている自分がいる。
こなせる自分がいる。
仕事なら実力と信頼がどんどん増している。信頼は自分を支える人に変わっていきます。そうなれば少し楽になるでしょう。そのためなんだと思ってみるのも一つの手でしょう。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ありがとうございます
自分の小ささを情けなく思います
自分が与えたことは
自分に反ってくるのですね
寛容になれるよう
笑顔で過ごせるよう努力します

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ