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良いことと悪いことの繰り返しに疲れたら?

回答数回答 1
有り難し有り難し 16

悪いことの次には良いことがあるとよくいうと思います。私もそう考えています。
(仏教ではそのようには考えませんか…?)

                    

人生は悪いことと良いことの繰り返しであり、悪いことというのも試練のようなもので捉え方をかえれば"悪いこと"ではなく、辛かったり悲しかったりするけれど、乗り越えたら強くなれる、人生を磨いてくれるもの。 のような捉え方をしています。
                    

その上でご質問させてください。

                    

自分が落ちている時(悪いことが起きているとき)、悪いこと(辛いこと)のあとには必ず良いことがあるから頑張ろう、と何度かは前を向けて乗り越えられるのですが、その繰り返しに疲れた時、どう考えればよいかわかりません。
                     

繰り返し と捉えてしまうことが間違っているのでしょうか…?
良いことあるから頑張ろう!と、落ち込んでいる時に根拠もなく期待する心がそもそも傲慢なのでしょうか…?

                     

もしも、もしも悪いことを乗り越えてせっかく良いことが来ても、長い人生はこれが続くのかしらと波に疲れてしまって、なにも楽しめなくなったとしたらどう考えればよろしいでしょうか…?
                     

半年ほど考えていますが答えを出すことができず、こちらのサイトを見つけました。お力をお貸しくださると幸いです。
(今は楽しく生きておりますが、昨年辛かった時にそう考え、答えが出せないまま、どうして今立ち直れたのかがわからなく気になってしまいました。)

2022年7月4日 23:53

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

決めつけたら運命論

良いことと悪いことが交互に現れて、やがて善業も悪業も使いつくして、そのあと解脱する、糸玉があっちに転びこっちに転んで、最後は糸が終わるように、というような教えが釈尊の時代にあったようで、それを釈尊は運命論・決定論という邪見であると見ていました。
 仏教の業の見方では、業かどうかは分かりにくい、です。過去の善悪業が現れてよいことや悪いことが起るのは事実かもしれませんが、それは必ず交互とは限らない、何が出るかわからない、と見ています。
 もっと気を付けなければいけないのは、仏教では、過去の業を消費しつつ、同時に、今、善業や悪業を作っているので、それにこそ気をつけなさい、と言います。過去の分は出たら終わるけど、それに反応したり、別に新たに悪業を作らないように、善業だけを作るように、そうすれば総量では善のほうが増えて、確率的には善が多く出るようになる、と見ています。
 東南アジアの仏教国では、何か悪いことが起ったら、「過去の悪業が出たのかもね」と言いながら、それは業の正体を掴んだわけではなく、自分を慰めてわざとケロッとして、心を暗くしないように頑張ります。過去の悪業が出たのかどうかは分かりませんが、今、苦しいときでも、心だけは汚さないように、と、今できることを頑張るのです。
 善いことがあっても、「過去の善業ね」と、なるべく平静を保って、浮足立たないように平常心でいます。調子に乗らないように気を付けます。今の心と行動に気を付けるのです。

2022年7月5日 7:59
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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

早いご回答ありがとうございます。
これは運命論だったのですね、そして釈尊がそれを邪見とお考えになられていたことをご回答で初めて知ることができました。
良いも悪いも浮き沈みせず今の行動を見つめていこうと思います。
苦しいときでも心だけは汚さぬよう、今できることを頑張る という言葉にハッとさせられ元気をいただきました。また善業の総量を増やす生き方を頑張ろうと思えました。
わかりやすくて、読みやすく、とても心に響く文でした。
ご回答誠に感謝いたします。
本当にありがとうございました。

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