気持ちを変えたい・自分に克ちたい
まことに情けない話なのですが失恋のダメージがいまだに残っています。
もう一生このままなのではないかというほどに。
一番大きいのは後悔の念です。
今回の恋愛では私が最初から決断できていて、しっかり相手の事を考えていればよほどの事が無い限り結婚していただろうと思うからです。また、今思えば私にはもったいないくらいの方でした。そのことも後悔をとても大きくしています。
次に劣等感です。
フラれて、さらに次の人に簡単に乗り換えられたために「やっぱり私はたいしたことない人間だったのだ」いう気持ちになるのです。
普通に人に比べて体の形がおかしいところもあるので、結局普通の人を選んだのだなとも思います。
ここまでくると元恋人は当初親御さんへの挨拶や同棲の話などしてくれていましたがそこまで本気ではなかったのかと疑いもしてしまいます。近場でいい方が見つかるまでのつなぎの恋人だったのかもしれません。
あれから半年以上たちましたが浮いた話も無く、いまだに心の中に元恋人が残っているために人を好きになることがないです。どうしても比べてしまい、結果元恋人より良さそうな方がいないのです。まれに、いいなと思う人がいても既婚者か恋人持ちです。元恋人は私より良い方を簡単に見つけているというのに。この気持ちが抜けるのはいったいいつになるのか。私はもうずっとこのままなのだろうかと思うといっそのこと早いうちに「命」を散らした方が良いのではとも考えることが多々あります。
心の中にある薄ぼんやりとした後悔や喪失感が消えません。
こんなことになると分かっていたのなら、あの時に電話番号なんて教えなければ良かったとさえ思ってしまいます。
変えられない過去の事をずっと考えていてもしょうがないのは分かっているのですが千載一遇の機会を逃してしまったという重圧もあり、このままダラダラと生きていても独りのまま、かといって無理やり相手を作っても「あの時に頑張った方が良かった」という気持ちは消えないでしょう。
落ち込んだら後は上がるだけと言いますが私はいつ上がれるのでしょうか。
先にも書きましたがこんな状態で生きているならばいっそのこと・・・という気持ちがいつまでも消えないのです。
人なんて信じるものではなかったな、と。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これからですよ
ご質問拝見しました。
別れて正解でしたよ。
相手は相手の生き方があり、ご自身と比べるものではないです。
大五郎さまは無理して付き合わない選択をされましたが、相手の方はプライドを保つため無理してでも付き合った可能性もあります。
お坊さんの立場からあえて言わせていただくと、信じるの使い方が間違ってる人が多いです。
自分にとって都合のよい解釈を信じようとするから傷つくのです。
それは信じるでなく思い込むという言葉の方が適切かと思います。
ご両親への挨拶や同棲の話は誰にでもするような軽い話題ではないと私は思いますよ。
結果はどうあれ、お付き合いしていた時は真剣な気持ちだったと思います。
相手に条件ばかり求めていたら、自分自身の成長は期待できません。
結婚生活の相手に必要なのは評論家じゃないです。
信じるべきは己ですよ。
まだ未完成である、まだ成長の可能性のある自分自身です。
成長の芽を期待できるかどうかの目を肥やす。
価値観が違っても、格差があろうとも、苦楽をともにする中で互いが補い合い成長できる可能性を見出せることが結婚に必要な相性だと思います。
外から選り好みしていても人の本質は見えにくいですよ。
かっこつけずにとりあえず縁を大切にする。ダメなら、幸せにする自信と器量がないからごめんなさい。
そっちの方が本当に信じるべき自分自身を見つけられると思います。
キツいこと言ってごめんなさい。
所帯を持って気づくこと、家族が増えて気づくことも沢山あります。