毒親の「影」に苦しんでいます。
いつもお世話になっております。就職に備え、各種検定の勉強を
しております。テキストを終え、いざ模擬試験…といったところで、
苦しんでいます。
テキストは順調に進んだのですが、いざ模試となると、なかなか
うまくいきません。問題がわからなかったり間違えると、
「私はだめな奴だ」
などと、自己否定的な考えが浮かび、パニックに陥りそうになるの
です。
私は小学生の時、亡くなった義父から勉強(算数)を教わって
いました。国語科の教員免許を持っていたのですが、教え方は
とても過激かつ冷酷でした。暴言、罵倒は当たり前。平手や蹴りが
飛んでくる、ボールペンが、目に刺さりそうになったこともあります。
「きのう教えただろう、なんでできないんだ」
「こんな問題も解けないお前は、あわれだよ(笑)」
などと言われ、これ以外にも、人格否定的な発言が頻繁にあり
ました。
中学校に進学すると、
「今までお前に算数を教えていたけれど、実は理系は苦手なんだ。
国語だったら教えてやれるから、気になったらいつでも聞きに来い」
と言われました。今思うと、苦手なことを背伸びしてやって、義父も
つらかったのかもしれません。
ある日、とある学者の先生が動画配信で、
「毒親に育てられた子は、毒親の精神がインストールされている。
その子が安定してきたとき、親の精神が影のように出てきて、その
子の生活に支障を与える。だから、そのような親の元で育った方は、
自覚をもって、気を付けていなければならない」
とおっしゃっていました。
まさにその通りだと思いました。
この、「毒親の影」を取り除くにはどうしたらいいでしょうか。
自分なりにも、様々取り組んでいるつもりです。例えば、
・勉強していて不安になったら、深呼吸する
・「連中は、もういないじゃないか」と念じる
・位牌を蹴る
・「聞くは一時の恥」と思って、わからない問題は解法を見る
といったところでしょうか。
苦しいです。先生方のご高見を拝聴したく存じます。
どうかよろしくお願いいたします。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
影はかげでしかありません
拝聴させて頂きました。
あなたがお悩みなさっておられることを読ませて頂きました。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
影はかげでしかありません、あなた本人ではありません。光があなたを照らし出し、あなたの影が地面に写るでしょうが、それはあなたの影です、あなた自身ではありません。
そして人間ですから誰でも些細なところで間違うもんです、テストはひっかけ問題がよく出てきます。そこでは多くの人々がひっかかって間違ってしまいます、そういう風に作っていますからね。
ですから「間違ったっていいんだ、次には気をつけよう」と思いましょう。あなたの人生にも今までいろんなひっかけ・トラップがあったでしょう。それとおんなじです。落とし穴あるのが人生です、テストもその一部なんですからおおらかに見ましょう。
それと「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」というか「聞くは一時の得、聞かぬは一生の損」です。
あなたが仏法に出会ったにも関わらずその教えを聴かないことは現世での損ですよね。会い難き仏法に会えりと同じで「分からないことはさっさとわかる人に聴くことです。」どうか素直なお気持ちで分からないことは質問しましょう。
あなたがこれからテストをクリアなさって新たな人生を踏み出していかれます様に、あなたの未来が大きく広がっていき素晴らしい出会いに恵まれます様に心から祈っています。そしてあなたをいつも応援させて頂きます。
質問者からのお礼
【Kousyo Kuuyo Azuma 先生】
お返事いただき、ありがとうございます。まずは、2点ほどご報告
です。
以前お祈りしていただいた、私の友人ですが、現在、医療従事者
さんになるために勉強していて、試験は学校の定期テストだった
ようです。
また、先日、この友人から、「仏教とはどんな教えか」と尋ねられ
たら、どう答えればよいかとご相談したと思うのですが、友人が仏事に
関してのことを私に相談してまいりましたので、「迷信が多くて、
私たちも、良識ある多くのお坊さんも困っている」と前置きし、
記述いたしました見解を述べました。友人は、「迷信も多いんじゃ、
大変ね」と言い、仏教に興味を持ってくれたようでした。
さて…私は、「解答を見る」、「質問をする」ことに、抵抗感が
あるのですが、これからの事を考えても、わからない事をわからない
ままにして進むのは危険だと思いました。素直に、わからないものは
「わからないので、教えてください。次からは、きちんとやります」
という姿勢を持って、メモか何かを取りながら、一歩ずつ、根性よく
やっていこうと思います。
わからないまま、愚にも付かないプライドに任せて猪突猛進に
進めば怪我やトラブルのもとになりますし、
「わからない。どうせ私にはできない。もういいや」
と逃げてしまう姿勢にもなりかねません。六波羅蜜のひとつ、
「精進」、また、浄土宗の、念仏に次いで根幹の教え、「愚者の
自覚」に反することになりかねませんから…
光に照らし出されたときに、私に付きまとう影…それはあくまで
「影」であり、自分ではない。自分ではないけれど、離れてくれない。
「あなたは、私ではない」
と念じつつ、影からの悪魔のささやきと戦うのが、私の仏道修行
でもあるのかもしれません。