父が亡くなり、ぽっかり穴が空いたよう
以前にも父のことでこちらに相談させて頂いております。
8月4日に病気で亡くしてから、手続きなどの忙しさも少し落ち着き、日常に戻りつつありますが、ふとした時寂しい気持ちが込み上げて、会いたいよと叫んでみたり、虚しい気持ちになったり、早朝に目が覚めて、亡くなる前の病気で苦しそうにしていた姿を何度も思い出したり、そんな日々です。
この先、このような気持ちがもっと大きくなって自分が耐えられるのか不安です。
時間とともに、このような気持ちは落ち着いていくものなのでしょうか?
どのような心持ちで、過ごせば良いのでしょうか?
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
忘れたくない人。大切に言葉にしながら語っていったらいい。
お父さまのご往生
謹んで哀悼の意を表します
この数ヶ月、お父さまを想い、時間を共にして、過ごしてこられたことと思います。弱っていかれたり、痛みに耐えておられたお姿は、そばにいても辛かったことでしょうね。いのちを看取るということは、ご家族にとっても大きな決意と覚悟だったと思いますし、病に倒れるのではなく、生き抜くというお姿から、お父さまの生き方や強さも受け取ってこられたのではないでしょうか。
出来ることを最期までと過ごしてきても、もっとしてあげたかった、もっとそばにいたかった、もう一度声が聞きたい、会いたい。
愛した人だからこそ、悲しみも深くなるものですね。
人は、愛する人と別離する悲しみも背負いながら生きています。それは、ときには苦しく、また懐かしく、そして忘れたくないあたたかな記憶となり、いつまでもあなたの中で、支えになっていきますよ。
私もいろんなときに思い出します。命日、季節、誕生日、記憶の場所や思い出の言葉や匂い…いろんな状況で思い出しては涙が溢れます。だから人は、亡き人の声を聞き会うために、繋がっていけるように、手を合わせて生きるのだと思うわ。
そして、誰かに話を聞いてもらいながら、亡き人を想っていくのだと思います。だから、お坊さんがいるのですよ。毎月のお参り、命日のお参り、お盆や彼岸、いつも大切な人の話を聞かせてもらっています。
いつまで悲しいのかな、苦しいのかな、って思うかもしれませんが、それでも忘れたくない人、忘れたくない想い出。大切に言葉にしながら語っていったらいいじゃない。いつだって、お父さまのこと、聞かせてくださいね。こうして想い、話しましょう。
合掌
質問者からのお礼
ご返信ありがとうございます。
以前にも中田様の温かいかいメッセージをいただき、父との最後の時間を有意義に過ごす事が出来た様に思います。あなた様のようなお坊さんが近くにいてくれたら、私はきっと毎日でもお寺に手を合わせに行き、話を聞いてもらいに行くのだろうなぁと思います。
これからの命日参りや49日参りを丁寧にやって行きたいと思います。
聞いていただき、ありがとうございました。