夫を亡くした友人、幸せアピールする友人
学生時代のゼミ仲間で、グループLINEをしています。
仲間の一人が、今年の春に伴侶を突然亡くしました。子供さんたちは独立し、一人暮らしとなった友人のことが心配で、時々LINEを送ってました。
他の仲間も心配していたのか、彼女は伴侶の月命日にグループLINEに現状を報告してきます。
私はそれを見て彼女の様子を知って安心するのですが、その返信に自分の幸せアピールをする仲間がいます。
仕事が順調、夫と温泉旅行した、孫が増えるなど、それはそれでポジティブだけど、伴侶を亡くした友人を案ずる言葉はなく、自慢話のきっかけくらいに捉えていて少し配慮に欠けているのでは?とモヤモヤします。
突然伴侶が亡くなるということは、夫婦である誰の身にも起こり得ることです。そう考えると幸せアピールだけする気持ち、私は理解できません。
独り身になった友人は吐き口を求めているのでしょう、返信も求めていないようで、現状報告したその日のうちに必ず投稿を削除しています。
なので投稿を読んであとで個人的に返信しようとした時は現状報告はなく、グループの幸せアピールだけ目にすることになります。
すぐに削除するなら同じ境遇の人に言えばいいのに…と思ったり、そちらにもモヤモヤします。
とても明るく行動的だったのに、伴侶を亡くしてから性格も変わってしまったようにも感じます。
このグループLINEを見ないのが一番の方法でしょうが、昔からの繋がりなので…グループ内ではどちらにも返信をしないことにしています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
不幸も幸せも苦しみの一種
不幸も幸せも、実は苦しみの一種なのです。
私達は、息を吸った後には「息を吐きたい」という苦しみが生じます。
目をつむったら「目を開けたい」という苦しみが生じ、目を開けてしばらくすれば今度は「目を閉じたい」という苦しみが生じる。
実は、不幸も幸福もその正体は苦しみの刺激であり、次々とやってくる、「余儀なくされせざるを得ないウズウズ衝動」の一つなのです。
だから、不幸だろうと幸せだろうとその刺激が脳に入力されれば、脳は何らかの出力を返してきます。
大きな不幸や大きな幸せならだれかに話したくなるのは同じであり、優劣は無いのです。
だから、「幸せアピール」も人間の習性だとあきらめ、慈悲(憎まず慈しむ)の眼差しで見守ってあげましょう。
はっきり言いましょうか?
はなさん、今からはっきり言いましょうか?あくまでも私の見解ですね。
あなたの友人の伴侶様が永眠されたことにお悔やみ申し上げます。
月命日毎におそらく伴侶様との思い出話や好きなものをお供えしたことを報告しているのでしょうね。傾聴して良いと思います。が、だからといって他の友人の報告を非難することは出来ません。長年友人として付き合ってきて、そのような天の邪鬼な性格を受け入れてきたはずです。今更、
大人になったからと仲良しグループLINEに世間の常識を押し付けるのでなく、事情を聞く耳を持ってくださいね。私はその友人なりに励ましていると思います。ただ、空回りしていますね。
私はあなたの態度が気になります。言いたいことも言わずに既読スルー。まさか今更、言いたいことを言ったら嫌われると思っているのですか?そんな仲ならグループLINEは抜けましょうけましょう。皆さんが気の置けない仲間であることを願いますね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
持って行き場のない愚痴になってしまい、申し訳ありません。
伴侶を亡くした友人は1ヶ月ほど食事も睡眠もできず、みんな体調を心配していたので健康報告のみです。
個人的にいろいろ話を聞いているつもりでした。言葉にすることで彼女の気持ちの安定を保てるなら、グループLINEに投稿せずに済むよう、こちらからもっと話しかけてあげようと思います。
幸せアピールの友人は「空回り」が的を得た言葉ですね。
彼女の周囲の幸せは喜ばしいことです。でも私は彼女の幸せより、先の友人の体調が心配です。
グループを抜けてしまうのも火種を残してしまいそうです。気のおけない仲間たちでも礼儀は必要だと、再度認識いたしました。