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十年間引きこもっています 依存について

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有り難し有り難し 18

自分は重度の自閉症スペクトラム障害で、人と上手くコミュニケーションがとれません。自分のこともままならないので、家族に迷惑をかけてしまっています。現在二十六歳です。
医者にはあなたは働けないと言われたので、障害年金を頂いて生活しています。読書が趣味なので、毎日哲学書や仏書を読んで生活しており、生活自体は満足しています。健康に気を遣いたいと思い、運動や瞑想を心がけています。
引きこもりの生活としては比較的、幸福だろうと思うのですが、孤独がどうしてもツラいです。母親は数年前に癌で亡くなり、兄弟は家を出て、父親は単身赴任をしているので、ほとんど家に一人です。田舎なので、外に出ても若い人がおらず、最寄駅も徒歩で三時間ほどかかるのも孤独に拍車をかけています。
ネットで友人や恋人を作ることが多いです。ネットから始まって、二回同棲したこともあります。けれど、孤独への恐怖からか、しがみつくような恋愛になってしまい、相手の体調や言動で心が不安定になってしまい、ツラいです。
コミュニティに所属しようと思ったことがあり、障害者支援の方と毎週話していたのですが、それもキツくてやめてしまいました。病気の特性なのか、一対一でしかコミュニケーションを取れず、コミュニティに所属するのは難しいです。
現在も遠距離恋愛をしている女性がいるのですが、連絡が取れなくなると病的に不安になります。俗にいう依存なのでしょうか。
浄土真宗を信仰していて、仏さまは心の拠り所になっていますが、それでも孤独と、それに付随する依存-不安がしんどいです。どうしたらいいでしょうか。

2022年9月3日 4:56

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏の教えの中でもさらにハイクオリティの教えの追求

釈尊は他人や自分に依存しろとは言わず「自分を拠り所」としなさいと説いておられいます。この自分を拠り所とするということは何かというと、自分が自分の身心の本来の様相・性質・内容を明らかにしろということなのです。
念仏をするのも坐禅をするのもカタチの上でそれをやれば救われるということではなく、その内容・要所を「やる」のです。坐禅も念仏も「どうなることが」坐禅や念仏の趣旨・真意なのかを「やる」ことがなければ形をまねしたというだけになる。
よって、自分を拠り所とする=自己の本来性をあきらかにしよう!とする意識があなたの上で発動されれば、やらざるを得なくなる。それがあなたの発・菩提心です。
それで救われるのですから。孤独や迷い来るs実が救われるのですからやらない理由はない。
「自分が自分で自分の身心の働き・作用が元々どうなっているのかを明らかにする」ことこそが実は仏教なのですよ。ココは意味が分かるまで読んで頭に叩き込んでください。なぜなら、釈尊には仏教を学ぼうなどという頭はない。仏教などとという教科書があったわけでもない。あの手この手で色々やってみて6年間方向違いなことをして最後に正しい心のありかた、心の処し方=修行がわかった。それを「した」わけです。では、その心のありかた・処し方・修行法とは何か!?といえば、そこをあなたが「知りたい!」と思わなければ誰も教えることもできません。
この精神の追求。求道の精神。その求めによってあなたは確実に孤独や迷いから救われます。
私は実効性・薬効成分・救いの仏教は私自身が救われなかったので、この教えは救われるわ(*´Д`)という教えだけを追求してきました。ブランドや宗派や有名力よりも実効性。悟りのやっそう成分がその教えにあるかないか。
そういう教えを追求しようという心が私は大事だと今まで仏教を求めてきた中で一番大事だと思うのです。人がどうこう言ったから妄信、ではなく。この教えは確かに救われる内容がある!という実証。
曹洞宗であれば、飯田トウ隠、井上義衍、井上貫道老師らが王道の指導者です。(私が知る限りですが)有名僧侶や禅師様や立場のお偉い人より、救いの内容をしっかりと説ける人の教えを求めるとよいでしょう。
浄土真宗さんにもそういう本物の指導者が居られるはずです。

2022年9月3日 14:01
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