人格の魂について
初めて相談させていただきます。
自分は人格障害や発達障害、精神疾患の人たちと関わってしまう事が多く、よく被害に遭います。
そこで思うのですが、彼らの一部は自身と向き合い努力したり悲観したりしていますが、大抵の人たちは周りに被害をふりまき、自身に返ってくる仕打ちや言葉には被害者意識を持ちます。
このような障害は生まれ持った特性であり修整は難しいと思うのですが、疑問なのはその方達の魂やら霊魂と呼ばれるような存在についてです。
このような方達が死んだ場合は肉体に依存していた思考から解脱され清らかになるのか、それとも魂本来の性質が肉体に宿っており相応のままなのか?という疑問です。
自分の家族が当てはまるのですが、このままでは悪霊や成仏などしなさそうな気がします
人並み欲望はあると思います。執着は自分で気付けてません。同じ事で自分より上手く行っている人への嫉妬はあります。感情は虚しさが強いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人として生まれた魂は尊い。なぜか。
死生観、魂論というのはさまざまな見解がありますので、ご自分に合致するものを選んでいただく、という前提ではありますが、仏教の前世、現世、業(カルマ)を元に考えてみましょう。
肉体とは、ゲームのキャラクターのようなものです。
魂とは、プレイヤーです。
プレイヤーは普通に過ごしているだけでは体験できないことをするためにキャラクターを操作します。
そのかわり、プレイヤーが普段できることが出来なくなったりもします。
あなたは髭の生えたおじさんのようにジャンプできませんが、ゲームの中のおじさんもまた、あなたのようにご飯を食べたり自由に会話したりできません。
「普段ゲームをしてるから、ゲームのキャラみたいに決まったことしか話せない」
ということはありませんよね。
その世界その世界の制限があるのです。
魂は、前世の課題をクリアするために肉体を持って現世にやってきます。
コミュニケーションに問題を抱えていたり、金銭的に貧困であったり、身体的障害を抱えていたりするかもしれません。
肉体を持つ私たちにとってそれはとても重大なことのように感じるでしょう。
しかし、魂にとってはその困難は"クリアすべき課題"なのです。
ただの課題であるが故に、肉体を失い、魂の世界に行った時には、
「今回は人格障害を持った肉体という、ずいぶん難しい人生に挑戦したね、おかげで成長できたよ」
という話をしているかもしれません。
少なくとも、人として生まれたということは、自らの意志で成長を選択できる尊い魂なのですよ。
正しい判断
私の高校時代の数学の先生が言っていたのですが、人は誰でも正しい判断をしているのだそうです。
ただ、人それぞれに考え始めるスタート地点(持っている情報)が違うから、答えが違ってくるのだそうです。
発達障害や精神疾患の人は、その特性のせいで、意識に入ってくる情報や気になる情報に偏りがあるのかもしれません。
だから他の人とは違う判断・行動になる。
しかし、考える手順は正しいのかもしれません。
たとえばミミズにはミミズなりの情報源があり、ミミズはその情報の範囲内で正しい判断をして生きているのでしょう。
私達が来世でどんな生き物に生まれ変わるかわかりませんが、与えられた情報の中で判断して生きていくのでしょうね、
質問者からのお礼
すっと腑に落ちました。現世というのは随分と不公平できびしいものだと思いましたが、人それぞれに課題があるのですね。
みんながそれを自覚したら、とても素晴らしい世の中になるのに。影響力のある教育や政治やメディアでそういう事を推進したらいいのに。
良いお話ありがとうございました。
願誉浄史さま、回答有り難うございます。姉の精神科の先生にも同じ事を言われました。本人たちは間違えていない、ただ、今いる環境の中での常識が違うだけだからもしかするとどこか違うくにだったりしたら普通に暮らせるのかもねと。
自分も含めてですが、やはり自分が正しいと思う事を押し殺して生きるというは相当にストレスが溜まります。願わくば、それぞれの正しさが尊重できて他の人に迷惑がかからない世の中に住みたいです。