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占い師としての葛藤

回答数回答 2
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どうぞよろしくお願いいたします。

私は現在、占い師という肩書きで多くの相談に毎日回答させて頂いている身です。

なぜ占い師になったか?というと、話すと長くなるのですが、尊敬できる人との出会いがあり、「この人のように誠実な人になりたい」と心理カウンセラーの資格を取った事が始まりです。

それまでの自分が好きではなく、何か人のために活動している自分でいようと思えたからです。

ただ、私は主婦ですので心理士になるための学費も時間もなく、通信講座の上級心理カウンセラーしか道がありませんでした。

医療や学校などで活動するには足りない資格ですので、「どのように活動すればたくさんの人から依頼がくるだろう?」と考えたところ、

「人は悩みがあればカウンセラーに相談に行くよりも占い師に相談する方が断然多い」
と思ったのです。

そして、タロットの勉強もしながら無料で鑑定を続け、プロとなった現在約5000人のご相談を回答してきました。

占い師になって5年。
ここへ来て葛藤があります。

占いがわかるにつれ、占いが何なのか?もわかるようになり、
「私は占い師としてお金をいただいていて良いのだろうか?」と思う事が多くなりました。

目に見えない事です。
「がんばろう!」と思えるアドバイスが出来る事が一番うれしい事ですが、占いに頼って自分の行動を決められない人が多く、
逆にそういう方にとって私は出過ぎた事を仕事としてやっているのではないか?
と思うようになったのです。

ただ、家で空いた時間にありがたい報酬も頂けているのも事実。

外へ働きに出るのも考えますが、まったくカウンセリングから離れる事も寂しいので葛藤しています。

このサイトのような場で占いではなく、心のお休み場所として無料で奉仕活動する方が良いのでしょうか?

みなさんの占い師としての肩書きの仕事の見方を教えて頂けたら嬉しいです。

よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お坊さんになってください。

ちーこさんへ こんにちは。

素晴らしい活動をしていますね。人の悩みを積極的に受けられるように、占いも取り入れて、カウンセリング活動をしているなんて、素晴らしいじゃないですか。ちーこさんが作った道なのですから、その活動に誇りをもって続けてください。

仏教では、僧侶は信者さんからのお布施を受け取ることに対して、仏の教えを授けます。これを「法の布施」、法施といいます。逆にお布施を受けるに相応しい僧侶という意味で「応供」といいます。私がhasunohaの回答僧に参加させて頂いたのもお布施を受けるに相応しい応供になるには、まだまだ法施が少なすぎると感じたからです。

人は僧侶も生きるためには生活費が必要ですから、どこからか収入を得なければなりません。僧侶はお布施から生活費を頂いております。その分、応供に相応しい僧侶になれるように精進しなければなりません。信仰と占いは少し方向性が違いますが、理念はちーこさんも同じことだと思います。収入を頂くに相応しい相談者として努力してください。

ただ、ちーこさんのレベルは占師カウンセラーではもったいない。僧侶になってもっと心の深いところにアプローチする僧侶になって活動することをお勧めします。そしていつかこのhasunohaでご協力ください。それぐらいのレベルのある方だと思います。僧侶になる気があればいつでもご連絡ください。合掌

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基本的に、占い師は宗教者です

  現代は、僧侶、祈祷師(拝み家)、占い師は割ときちんとした境界線が引かれています。しかし、宗教史という括りで、日本の歴史を見ていくと、昔は今ほど明確な境界線がありませんでした。僧侶が祈願もする。祈祷もする。お祓いもする。卜占もする。ということも、決して珍しくありませんでした。と言っても、僧侶もいろいろで、天皇家貴族大名のブレーン・アドバイザー的な地位の僧侶もいれば、民衆の中で庶民の葬祭・法事・寺子屋・よろず相談に当たっていた僧侶も居ました。相談の依頼者の地位身分にはいろいろと差はありましたが、カウンセリングも僧侶の重要な役割でした。残念ながら、我々僧侶の場合、儀礼執行者としての役割しか果たしていない場合も多く、大いに反省しなければならないと思っております。檀信徒そして請われれば一般の方の相談にはのっておりますが、「敷居が高い」と思っている方も居るようで、まだまだ課題も多いと感じております。こうして、hasunohaという場で微力ながらも様々な方の悩みや疑問にお応えさせていただくのも、有り難い御縁だと思っております。

 古代において、政治を行うにしても、農耕を行うにしても、占いは不可欠でした。占いは政治の一部であり、宗教でもありました。現代においても、卜占という行為はカウンセリングを行うための大切な儀礼であり、その儀礼の力によって占い師の方々は「前に踏み出せない方々の」背中を押してあげているのだと思います。無論、占い師と言っても、いろいろな方が居られると思います。あなたは占いの力をカウンセリングを通して妙薬としておられると思います。しかし、残念ながら占いの力が毒となってしまっている場合もあるかと思います。
 あなたの場合、カウンセリングの理論と技術をきちんと学び、実践の場として占いを選ばれました。その選択は的確だと思いますし、その志は立派だと思います。その信念を貫いて行けば、大丈夫ですよ。

 ついでながら、我々の僧侶が受ける相談にも言えることですが、占いの立場から出来るカウンセリングの可能性を模索しつつも、踏み込んではいけない領域をきちんと認識することが必要だと思います。
行政や弁護士税理士に行ってもらった方が良いケースも有ります。病院に行ってもらった方が良いケースもあります。気を付けたいと思っております。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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質問者からのお礼

染川様。
ご丁寧に回答くださりありがとうございます!(*^_^*)
みなさん、自分を愛して欲しい…
そういう思いで進んできました。
最近、初心を忘れていたのかも知れません(^_^;)
迷いも必要な学びなのでしょうね。
誰に相談できる事ではなく、偶然にもこちらを見つけてお話し出来て本当に良かったです☆

これからも自分を省みながら誇りを持って頑張っていきます。

ありがとうございます!

ちーこ

吉田様。
ご丁寧に回答してくださりありがとうございました^^

まさに「相談しにくい」という敷居を低くさせるために占い師の肩書を選びました。
占い師は魔法使いではありませんし、自分の人生のシナリオは自分自身で創造して欲しいですね。
暗い中でシナリオを描く際に、明かりを灯して描きやすくしてあげるのが私の務めだと思っています。

なので、占う事をタブーとする中に病気、生死、試験の合否、裁判に関わることなどしっかりと明記しています^^
その道の専門家がちゃんとおられて、私が立ち入る場ではない。と思っているからです。

常に自分の身の程をわきまえて鑑定していかなくてはいけませんね。
ここで気持ちを新たにする事ができました。

ありがとうございました☆

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