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今日お参りに行く時の不安

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有り難し有り難し 16

いつも私の独特な質問におこたえ下さり、ありがとうございます。

お彼岸なのでお参りに行こうと思っているのですが、また不安なことがあります。

お寺の門から入ってすぐ横に、仏様がいらっしゃいます。

私はお寺で仏様に対して酷いことを考えることが度々あり、そちらの仏様に考えた時にも手を合わせて謝っていたのですが、

今日お参りに行く時にも門から出る前に「いつも失礼なことを考え申し訳ございません」と手を合わせた方がいいのか、素通りして良いのか・・・

謝る時には
1 お辞儀をする
2 合掌して礼拝
3 手を合わせて謝る時に頭を下げる
4 合掌して礼拝
5 お辞儀をする
で良いものでしょうか?

門の前で何度も頭を下げている姿を他の人に見られるのも恥ずかしいという思いもあります。お寺に行くのに罪悪感や気の重さを感じています。

また、お寺に行っても、いつも心が乱れていて、酷いことを考えるか謝るかばかりで、感謝の気持ちを伝えなきゃと思ってもその気持ちが不足していてしっかりと伝えられない私がお寺に行く意味は何だろう?そもそも行っていいものなのか?と考えています。

何かアドバイスをいただけないでしょうか。よろしくお願いします。

2022年9月23日 9:46

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ようこそ、ようこそ

あおさん、こんにちは。お彼岸ですね。どうぞお参りください。

仏様に謝る時の作法はそれで問題ないと思います。何度も頭を下げるのが気になるようでしたら、合掌(手を合わせ)して一度の礼拝(頭をさげる)で十分でしょう。

仏様とは鏡のように自己を照らしてくれる存在です。ですから、お参りした時に自分の良くない心の中の思いに気がつくのは教えに適ったことでもあります。あえて感謝を伝えなくとも喜んでくださることでしょう。

どうぞ安心して、たまには考えすぎず気楽にお参りなさってください。

2022年9月23日 14:44
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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

吉武文法様
お返事いただきありがとうございます。お礼が大変遅くなり、申し訳ありません。
考えすぎず楽にお参りをしてはどうかとのお言葉をいただき、安心しました。
謝る時の作法は大丈夫なのですね。また、お参りをした時に自分の良くない過去に気付くのは教えに適ったことなのですね。

教えていただき、本当にありがとうございました。

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