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亡くなった親にまた会いたいのですが

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既に両親を亡くしています

このサイトでも多くの人が質問していますが
亡くなった親に会いたい。身近な人に会いたいと言う思いが強いです

不動産賃貸収入などがあるため経済的に困窮しているわけではありませんが
仕事も失いました。

勤めていた会社は、家族の介護を理由に休暇休職がほとんど取れないため辞めざるを得ませんでした。再就職できる年齢ではありません。

一人っ子でしたので兄弟もいませんし、もし今私が死んだ場合の法定相続人も現在はいません。

両親がこれまでやってきたことを無にしたくないために親戚から養子をとらないといけないと思っていますが

私自身はこれからの人生に何の目標もなく、ただ「両親に会いたい」と言う思いだけです(自殺するという意味ではないですよ)

昔もてはやされた霊能者番組ではあの世や霊魂が存在して、亡くなった人の声が聞けると言う話もありますが、私自身は目に見たわけではないので本当にそうなのか懐疑的です。

なお 私は大学では理工系を専門にして、学んだ分野としては かの 大槻義彦教授(超常現象や超能力などを否定することで有名)に近いです

つまり、霊やあの世があって欲しい 親と会いたい と思う一方で
存在の証明がされていないものに対して俄に信じられない人間です

仏教でも 他の宗教(神道、キリスト教、イスラム教など)でも はっきり 霊魂やあの世の存在を証明した人はいないはずなのに なぜ 「あの世から最愛の人が見ています」と言える宗教家が多いのでしょうか?

私は慰めや気休めを聞いて自己満足をする気もないですし
この先の人生相談をするつもりもありません
私にとって関心事は「何が真実なのか?」ということと
亡くなった親にもう会えないなら辛くてたまらない(それも願望を持ち続けるだけで終わりにしたくない) と言う思いだけです

亡くなった人が自分を見守っている と答える宗教関係者が多いですが
なぜ自信を持って言えるのでしょうか?

2022年10月4日 20:11

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

実存的な苦悩が要求するもの

ご相談拝読しました。

ご両親とのお別れによる孤独感や、仕事を失ったことにより大変悩まされているお気持ちをお聞かせ頂きました。

しかし、それらを気休めや慰めで埋めたくはない、真実を求めたいとのお気持ちなのですね。

問題は結局、「あなたが思うあなたの真実」ではあなたの苦悩は解消されないということです。あなたの苦悩こそ実存的な真実。その苦悩に向き合う時にどういう態度を取るのかという問題です。

おっしゃるとおり死後は誰も証明できません。つまり科学的には死後が有るとするのも、無いとするのも正しい態度ではありません。科学は証明を要しますから。

仏教でも、死後にもまだ永遠に続く主体があるとするのを常見(有見)、死後は何もないとするのを断見(無見)として、どちらも偏った見解で誤りであると退けます。
わからないことをさも真実のように語る教えは、わからないことならばどうとでも言えてしまうのでそのようにするのでしょう。

確かめられることは「亡き人は私にとってどういう存在か」ということだけです。その時に、苦悩する私の思いをどこまでも主張して苦悩に留まり続けるのか、苦悩する私を救おうとする教えに謙虚に自己をさらけ出すのかです。最後は論理を超えた態度決定が要求されるのでしょう。

死後を無とするならば、自分も無に向かって生きていることになります。生きている内に楽しんだら良いという人もいますが、その価値観は老・病により脅かされていきます。老い、病む中でだんだんと楽しめることも減っていく、そして最後は無になる死にひたすら向かっていく。その私の今に私の苦悩を超えるものを果たして見いだせるでしょうか。

私たちはどこか心の底で、有るとか無いとかいう私の思いを超えたいと、限りある私の命に無限の意味を見出したいと願っているのではないでしょうか。

その時に大きな示唆を与えてくれるのが先立って命を終えていかれた方の存在です。
亡き人を無とするならば自分も無です。しかし亡き人から今ここで大きなはたらきを受けるならば、自分もそのはたらきとなっていけることを見い出せるでしょう。

亡き人に会うとは実体的な亡き人に会うのではなく、亡き人の願いや、亡き人を通して気づかされる自らの根源的な要求に出会うことではないでしょうか。そこに謙虚になる時に様々な宗教の教えが響くのではないでしょうか。

2022年10月5日 6:01
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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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ご両親が喜んでくださる生き方を。

カシワモンさん 人は亡くなったらどうなるのか、誰も経験談を語れる人はいません。私も、最も知りたいことです。そのことを言及するよりも大切なことは、亡くなった方が喜ぶ生き方をする、ということです。

再就職することが出来るか出来ないかは、職業や雇用形態によってわかりかねますが、ご両親へのご恩返しとして出来ることを一生懸命行じてみてはいかがでしょうか。お釈迦様は、人が亡くなった後のことは言及されていません。それは、今ここが最も大切な場だからではないでしょうか。

何を信じるのかは、それぞれの自由です。私のお師匠様は、人の命をこんなふうに語ります。「亡くなったということは、いなくなったわけではありません。命は、水素が氷や水蒸気や雲など状況によって形になったり目に見えない姿になったりすることと同様。亡くなるということは、水蒸気のように目で捉えられないだけで、その要素は無くなっていないのです。今までは、家に帰れば会えるお父さんでしたが、今はあなたとどこでも一緒にいるお父さんなのです。」と。

また、私の友人は数年前に膵臓癌で亡くなりましたが、亡くなる数日前に「〇〇さんは亡くなったらどこへ行きたい?」と聞くと「みんなのところ」と答えてくれました。私個人はその答えを聞いてほっとして、亡くなった後も何だかいつも横にいてくれる気がしています。

何を信じるか、信じないかはそれぞれの自由です。正しい答えは誰にもわかりません。でも、生きるということは、ご両親や恩師などお世話になった方々が喜んでくださる生き方をすること、それは志していただきたい、そう思います。

2022年10月4日 23:09
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おきもち

曹洞宗(禅宗)僧侶。スピリチュアルケア師。 もの心がついた頃から「生きる...
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脳死を人の死と「みなす」のと似てる

脳死を人の死だと言えるかは賛否両論があります。
しかし、臓器移植する場合には、日本の法律(人間同士のルール)においては、脳死を人の死だとみなすことが許されます。
宗教の世界では、あの世や来世があるとみなして生きること、極楽浄土等で故人に再会できるとみなして生きることが許されるのです。
つまり、人間同士のルールとして、来世や神仏の救いを肯定する立場の人々をバカにしないということです。
私達は、梅干しやレモンの味をイメージしただけで唾液の分泌が増えるなど、イメージによって心身を変化させることが可能です。
実際に梅干しが口にあるかどうかではなく、そこに梅干しがあると「みなす」ことで人生が変わる場合があるのです。
会いたい人と来世で会えるとイメージするだけで、心が明るくなることもあります。
宝くじが当たったら、と考えるだけで、当選発表日までは生きてあげようかなというエネルギーが湧く場合もあります。

2022年10月5日 19:45
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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

お坊さま方、ご回答誠にありがとうございました。お礼のコメントが遅れてしまい、誠に申し訳ありません。

字数の関係で質問の本文では書けないこともありましたのでこちらで追記します

大体予期していた回答ではありますが
お世話になった人、最愛の人が示唆したもの、教えてくれたものを感じ取って
既に亡くなった喜んでくれる生き方をする
今の自分にはそれしかないのだろうとは思います
【本当にあの世から見てくれている人がいるなら】自分があの世に行ったときに胸を張って話せるでしょう

例えば 徳川家康、亡くなる前に後のことを心配していろいろ手を打ちました。そして幕府は250年以上続きました
後から来た子の秀忠や孫の家光が「幕府の基礎を確立しました。もう盤石です」と報告してくれればこれほど嬉しいことはないはずです

一方 百姓から天下を獲った豊臣秀吉。幼少の我が子を心配して亡くなりましたが
結末は秀頼だけでなく、秀頼に味方した者まで巻き込んで悲惨な結末を迎えました
この場合、むしろあの世も霊魂もなく、亡くなった時点で全てが無になった方が秀吉にとっては幸せかも知れません

私は既に亡くなった両親などに今からしてあげられることを考えているから、【】の部分があるのかが一番知りたいわけです。
(もし本物ならばが前提条件ですが)、霊能力者などに聞いてみた方が良いでしょうか?

ちなみに、私は科学では証明できない予知能力のある人間がいることはほぼ確信しています
yahoo知恵袋で
↓のベストアンサーに選ばれた回答は私が書いたものです
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10269070400
↓の質問者は私です
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13268740398

但し、予知能力と霊視能力は違うものとも思えます。
話を聞いてみる価値はあると思いますか?
それとも
統●教会のように 適当なことを言って高額なお金だけをぼったくる人達ばかりだと思いますか?

「亡くなった・死んだ人に会いたい」問答一覧

夫の包容力が恋しくてたまりません

夫を亡くしてもう少しで5ヶ月です。 共に過ごした12年間…喧嘩もたくさんしました。それでもなんだかんだ言いながら、私がたっぷり甘えていたのでしょう。仲良くやれていたと思います。 いまは一人で、二人の男の子を育てながら生きてます。というより、子どもが生きる理由です。 こどもの前では泣かないようにと思ってましたが、やっぱり無理です。それと、お盆に入って祭壇が設置されてから色々なことを思い出しては涙し、その都度子どもたちが慰めてくれます。駄目な母親です… 子どもたちを守らなきゃ!育てなきゃ!でいっぱいいっぱい。夫が生きてたときに子育てや色々なことに悩んだときは、『そんなに頑張らなくていいよ』と沢山抱きしめてくれました。 夫の大きな体で、包んでもらったぬくもりが忘れられません。寂しくてたまりません。寂しくなったら子どもたちを抱きしめてますが… きっと甘えなのでしょう。女性としての本能なのでしょう…大きな体で包んでもらいたい…そんな不謹慎な気持ちが浮かび、自己嫌悪です。人間として普通なのでしょうか。それとも、自分が単なる欲求不満なのでしょうか。 今後誰かと恋愛したりとかそんなことは、全く考えてませんが、この欲求がどうしたらおさまるのかわかりません…。もう一度会いたいです。

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亡くなったばかりのじいじに会いたい

大好きなじいじが2023年5月1日午後14:00に他界しました。89歳でした。 肺がんで進行が早く、口の中にまで転移していて、食べることが大好きなじいじでしたが最後の数日間は何も食べれず、飲み物しか飲めませんでした。 最後の最後まで‘お茶漬けが食べたい、ピザか刺身が食べたい’急に出なくなってしまった声を張って言っていました。 私たち姉弟に‘姉弟三人仲良くね’ 私の彼氏に‘結婚式までとても生きれそうにないや’‘朱里のことをよろしくね’そう言って大泣きしていたじいじ。 ばあばは‘みんなが会いに来てくれて嬉し泣きしたんだよ’と言っていましたが、じいじどんな感情で涙したのかな。 今までじいじから一度も弱音を聞いたことはなかったですが、最後のほうには‘あかり、じいじ死にたい’と言ったこともありました。 ‘朱里の結婚式までは生きたいやぁ’いつもそう言ってくれたじいじ。 どうしても叶えてあげたかった。じいじに一番見せてあげたかった。 急遽前撮りをお願いして、じいじの家で写真を撮りました。 その三日後に静かに息を引き取りました。撮影の日まで頑張ってくれました。 小学生時代、下校時にひとつ前の班で出ていたら亡くなっていた命。 心筋梗塞を二度もしていて、いろんなタイミングが合っていなかったら助かっていなかった命。 大きな交通事故をし、80%無理ですと言われた命。そのときは三途の川を見たと言っていました。 じいじは世のため人のために生きていたという印象があります。 どんなときも、生かされていたのかなと思えます。 楽しかった思い出しかないのに。笑っているじいじしか思い浮かばないのに。 どうしても、もっとああしていれば。こうしていたら。そんなことばかり考えてしまいます。 耳が遠かったじいじとあまりお話ができませんでした。 じいじは幸せだったか、みんなじいじのことをこんなに想っている。 話したくて伝えたいことがたくさんあります。 お葬式で読んだ【孫たちからのお手紙】ちゃんと聞こえていたかな。 私は何度生まれ変わってもじいじの孫でいたいです。 毎日毎日、じいじにあいたいです。

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3ヶ月前に亡くなった母に夢で会いたいです

3ヶ月前に自分の誕生日に母は亡くなりました。去年5月末に脳梗塞で倒れて救急車を呼び入院しました。人工透析をはじめるために引っ越して8ヶ月に入った頃でした。それまでは足が悪くてエレベーターなしの3階に住んでいていよいよ透析をしなきゃいけなくなり1階の介護タクシーさんに来てもらえるマンションに引っ越したばかりでした。週3回透析に行かないといけなくなり私も仕事抜け出して透析のお迎えに行ったり大変でしたけど私は母といられる時間が幸せでした 母は若い時から苦労ばっかりででも愚痴ひとつこぼさずいつも明るくいてくれました。一生懸命働いて女手ひとつで私を育ててくれました。だから私は母にしてあげたい事が沢山ありました。若い時に無理してきたので晩年は病気ばかりでした だから母の介護で母の側にいられる事が本当に幸せでした。新しいマンションで頑張って透析しながら頑張ろうねと言ってた矢先でした。半年程入院してほぼ寝たきり状態になり記憶障害で私の顔が理解できなくなり日常生活にしていた事ができなくなりました。入院した病院もよくなかったです。コロナで面会もほぼできなくて病室にも入れず辛い日々が続き半年後に急に亡くなりました。自分の誕生日に亡くなるなんて私は兄弟もいませんし結婚もしていないので本当にひとりぼっちになってしまい毎日泣いてばかりです。辛くて仕方ありません。母にもっともっとしてあげたかった後悔ばかりです。最後まともに会話ができなかったです。だからせめて夢でもいいから会いたいです。

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亡くなった祖母に会いたい

大好きだった祖母が90歳で亡くなりました。 祖母はわたしの家の近くに住んでいました。 幼き頃風邪をひいた時に預けられたり、学校が早く終わったら祖母の家に帰ったり、祖母の家に電話をかけたり、祖母の作った野菜をもらったり…成人してからも祖母の家に行き他愛もない話をしてコタツで祖父母とお昼寝をしたりしていました。 いつでも祖母に会える安心できる心地の良い場所、それが祖母の家でした。 祖母は数年前から認知症のような症状が出てしまい体調を崩していました。 祖母の家に行きおむつを交換したこともありました。 その後、症状が悪くなり病院に入院したときにはお見舞いに行きました。 さらにその後、祖母は病院から退院して施設に行きました。しかしコロナ禍でお見舞いに行けたのは数回でした。 施設に入所した時には認知症の症状も進み、元気だった頃のように話せなくなっていました。 でも生きてさえいてくれれば、またいつか元気になってあの頃のように笑い合える、話せるのではと思っていたのかもしれません。 しかし数日前祖母が亡くなってしまいました。今は葬儀を終えたところです。 施設から家に帰ってきた、亡くなった祖母を見て、あまりに穏やかな顔だったのでまだ眠っているだけなのではないかと思ってしまいました。 納棺で体を拭くときも、葬儀でお別れをいうときも祖母はまだここにいる、と思っていました。 しかし、火葬場で焼かれ骨だけになった祖母を見て、もう会えないんだと思いました。 この世界のどこに行っても、大好きだった祖母の家に行っても、祖母に会えないと思うと悲しくて涙が出てきてしまいます。 祖母の声、笑顔、全てが忘れられません。 わたしは、何かを後悔してるとか何かをしてあげればよかったとかそういう思いやりのあることを考えているのではなく、ただただ自分が寂しくて、わがままに、祖母に会いたいと願ってしまっています。 祖母にもう会えないというのが寂しくて、祖母の死を受け止められません。 どこに行けば祖母に会えますか。 祖母に会いたいという気持ちはどうしたらなくせますか。 何かお言葉をください。

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亡くなった家族に会いたいです。

こんにちは。 前回質問を投稿したとき、とても丁寧に回答いただき、もう一度、お伺いしたいことを書かせていただきたいと思います。 前回、生まれてすぐ亡くなった息子のことを書かせていただきました。今でも毎日寂しいです。会いたくて、抱っこしてあげたくてたまりません。 そして、息子の死を考えるとき、数年前に亡くなった祖父母のことも考えてしまいます。 思えば、同居していた祖父母に対して態度がきつかったり、祖父母は何も悪くないのに鬱陶しく感じたり、たくさん傷つけてきたのではと思います。そのことを今でも考えてしまいます。なぜ祖父母にもっと優しくできなかったのか、なぜもっと話をしなかったのか、話を聞いてあげなかったのか、なぜ時間があったときに一緒に過さなかったのか。どうすることもできなくても毎日毎日考えてしまいます。 そんなひどい私にいつも優しく、静かに応援してくれていたと思うと、会って一言謝り、また話したくてたまりません。もう一度会って一緒に時間を過ごしたいです。骨になったひ孫ではなく、生きた元気な孫を抱いてほしかったです。 私が若いときは、そして今もそうなんだと思いますが、自分のことに集中していて、尽くしてくれた家族に何もしてあげず、自分の好きなことばかり...やらないと後悔する、と思い今のうちに、とやりたいことばかりをやってきました。祖父母は節約のためか、特にどこにも出かけず、それなのに私は外出(と仕事)、という具合で毎日寂しかったろうと思います。祖父母、家族に申し訳なく、自業自得ですがつらいです。 毎日息子と祖父母のことを考えます。実家に帰ればお墓にも仏壇にもお参りはしますが、その程度で天国で許してくれているかは分かりません。 息子と祖父母に会いたいです。どのように考えれば少し気持ちの整理がつくでしょうか。 読んでいただいた方、ありがとうございました。

有り難し有り難し 10
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ