軽率な判断で整形してしまいました。
先日、誰にも相談せずに整形をしました。
カウンセリングされている間は自分がもっと綺麗になれるのだという嬉しい気持ちがあり、その場の誘惑に負けて契約書を書き施術をしてしまいました。
ここでキッパリ断るべきだろうかと不安な気持ちを持ったまま全てが終わってしまい、嬉しいはずが後悔が残りました。
今考えると、その場の浅はかな判断で整形してしまったのは最低な事だと思います。冷静に判断すべきだったと後悔しています。
ローンの支払いに関しても、払えればいいという浅はかな判断で契約してしまったことの後悔が残ります。
これから先、数百万円のお金を払う間も後悔し続けると思うと、胸が苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これでよかったと自分を信じていくこと。
拝読させていただきました。
『後悔』というものの深層の理には、過去を振り返り"あのときの自己の判断力の欠如"により後悔が生じます。
しかし、何事も過ぎたことや、やってしまったことは人には誰にでもあります。それは今回の相談内容とは異なることでもありますが、その個々による内容はその人にとっては同様のことでもあります。
特に女性であるからこそ、「容姿」という普段から"顔を見られる表面であり"他人に見せる箇所でもあるからこそ、ありとあらゆる自己の考察より後悔の念が働いている心理状態です。
最近では、「タトゥー」や「刺青」を入れている若者がヤクザと異なり増加した日本現代になってきています。
昔の入れ墨を入れる理由には必ず根拠があり、漁師などでは遭難した際に後々発見された際、入れ墨をいれておくことで、誰であるのかを分かるように入れる文化風習もあったり、戦時中などでは海外から拉致を防ぐためであったり、沖縄ではハジチ(針突)という既婚者である証拠のために入れた時代もあります。
また整形では、生まれつきもったシミやアザなど、また事故による変形などによって整形することも多々事例があります。
今回の みるさん が顔にメスを入れ失敗だったことに理由付けする必要もなければ、やってしまったことの過去を振り返らずに、これから共に人生を歩んでいく顔(一体)ですから、後悔を背負っていては整形した顔を自ら醜く見える傾向(心に習性)へと気持ちは走りだします。
借金は、社会勉強の一環である「人生を好転させるための授業料」として捉えていくことが肝心であり、返済しながら過去を振り返るのでなく、返済しながら良くなるためにはを思念しながら前へ前へ進んでいくことが大切な心の持ち方です。
整形や入れ墨など限らず、「あともう少しやりたくなる」とキリがなくなるものです。
何かが足りなければ何かを埋めようとする習性を持つ欲の塊の人間という私たち動物です。
化粧を磨き、心を磨き、今の状態を以前より、結果整形した良かったんだと思えるように心掛けていきましょう。
合掌
質問者からのお礼
少し心が軽くなりました。
ありがとうございます。