新人いびりをする心理が理解できない
私は新卒社会人です。
この半年間、仕事で関わるある高齢者より、何度も酷く理不尽な態度や叱責を受けてきました。聞くところによると、どの新人にも、まずいびりから入る性格のようです。その高齢者から叱責を受けると、周りの社員からは「あなたは悪くないよ」と言われることが多いです。
私は自責思考の強いタイプで『悪いことしてしまったかも』と自分で思ったりするほうですが、この高齢者から受ける叱責は明らかに理不尽なものに感じます。
その具体的な内容は書けませんが、こちらを見下し軽蔑していることをモロに伝える態度を取られ、こちらがただ居るだけでまるで悪者のように仕立て上げられます。そんなにこちらのことが嫌なら、いっそのこと気にして欲しくないのに、逆にジロジロと細かいところまで観察して、文句のために、すこしでも自分が不快に感じる原因を見つけることに必死のようで、本当に陰湿です。
新人が動揺してる姿を見て心の中で笑うのが楽しいのか、それとも明らかに自分より下の立場の者を叱ることが悦に入るのか、仕事が出来ない新人をこの私が教育してやってるつもりなのか…
私は、どの人に対しても、そのように高圧的に接したい気持ちがないので、全く理解できません。しかも、あくまで新人いびりですので、新人と見なされなくなればピタリとそれまでの態度や叱責が無くなるらしいです。
この経験を乗り越えた先に、何かこの後の人生に活きるような教訓は見出せません。ただのストレスです。
新人いびりをしたくなる心理は何なのでしょうか。この経験をどのように受け止めれば人生の糧になるのか、ご教示いただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
様々な角度でマウント心理の研究を
人間には人間を力で制圧しようとするハズカシイ心理ナサケナイ心理があります。
自分にユトリが無い人間ほど相手を下に見て高圧的になることで自分の困難を打開しようとするのです。🐔コケー!
怒りっぽい人の心理は怒ることで自分の要求を無理やり押しとおそうとする心理があるそうです。
それは本人がいっぱいいっぱいになっているのです。実は無様で悲しい様相であると見抜けるとよいでしょう。
ここではとてもお見せできませんが、某国や某国では女性に対しても蹴る殴るという酷い扱いをします。私は女性を殴る、踏みつける人間が大嫌いなので、女性たちには知られる機会は少ないですが世の中こういう現実があるから見た目のきれいさや派手さに騙されないで家庭的なパートナーを選んでほしいと思います。そして、悪意やマウントを取ってくる人たちの「あの謎な」行動の背景にある謎心理の正体を知っていただきたいと思います。今の世の中、現実をおつたえすると過激発言とかネトウヨとか加害者に配慮?と言って踏みつけてくる人たちすらいます。(笑)
沖縄の問題もそうですが、沖縄本土の人たちの声があげられず、外部から入り込んでいる「活動家たち」の声がメディアであたかも沖縄の人たちの声と脚色して報道されているのも実はマウント心理でもあります。
たとえば、フェミニストさんでも「おやおや、その発言、大丈夫?」と危険視されている過激言論人さんをお見かけしますが「かえって男女が仲悪くなると思いませんか?」ということを堂々と主張している人を見かけます。
「正義のカタナで人を切る」というレベル・ランクの人たちです。正義の心はマァイイとしても、それで勝ちに来る、マウントを取る、正論で斬りつけて相手に声すら出させないのってこわいですよね。
どこの会社、組織にも昭和過激な気質の人もいるものです。
その人の背景や指導・教育の好みを理解すればいいのです。
ちょっと一風変わっていますが、ご参考までに当時世間を騒がせた日本赤軍の「総括」というのを調べてみてください。今の日本にもやたらと批判・噛みつき心理だけの人たちがいますが、意味が解りません。修行道場にもこういう人がいました。よりよいアイデアや代案もなしに相手を非難するだけ。他人さまのお葬式にまで入り込んで文句を言うような人も増えた今の日本。そんな危ない人格は多様性とは言えません。それもマウント心理なのです。
拝読させて頂きました。
あなたが職場で理不尽なひどいことを言われたり、いびられ攻撃されたりしてとても辛い思いなさっておられることを読ませて頂きました。その様なことをされれば誰でも嫌でしょうし、辛いでしょうし悲しみや怒りや憎しみも湧いてきても不思議はないですよね。詳細なことはわからないですけれど、あなたのその思いを心よりお察しします。
その人がどの様な人なのかどの様な人生を歩んでいらしたのか、今までどの様に人との関係を結んできたのか皆目分からないですけれど、想像するにその人は全く心の余裕もゆとりも優しさもおおらかさもないのかもしれませんよね、つまり人への心のキャパシティがないのかと思います。
丹下師がおっしゃっている様に精神的にもいつもいっぱい一杯なのかもしれませんね。
その人はその様に人をいじめることや見下したりすることでしか自分を正当化できないのかもしれませんよね、或いは誰も信じることもできないのかもしれませんし、とても孤独なのか或いは大切な方々からも見捨てられているのかもしれません。
いずれにせよとても心も人生も貧しい人なのかもしれません。
だからといって人を見下したりいじめたりおとしめたりすることは許されるわけではありません。その様なことをすればする程にその人から人は離れていくでしょう、その人に寄り添って下さる方々はいなくなってしまうでしょう。ですからその様な悪意や悪言や悪業をすれば自ずとその報いを直ぐに受けることとなってしまうでしょう。
ですから適度に距離を取ってできるだけ冷静に対応していくことが望ましいと思います。今あなたはいろんな人に接していろんな人を見ているのですね。それもとても重要な経験かもしれませんからね。
どうか決して自分のことおとしめたり諦めないで下さいね、自信もって下さいね。あなたを心より応援しています。またあなたの思いをお聞かせ下さいね。
質問者からのお礼
丹下覚元様
早速のご回答ありがとうございます。
沢山の例を挙げていただき、とても勉強になりました。他人を批判したり罵倒したり馬鹿にしたり…自分の正しいと思っている主張や自分自身の存在を訴えるために、他人に対してネガティブな働きかけをする言動は巷に溢れていますね。多様性、多様性と言うほど、何故か生きづらい世の中になっていくような、そんな矛盾を感じとても悲しくなります。
Kousyo Kuuyo Azuma様
ご回答ありがとうございます。
お優しいお言葉をいただき、物の見方が広がって心がホッとしました。
確かに今は色々経験する時期かも知れません。反面教師ではないですが、自分は決して腐らずに、周りの大切な人に誠意と思いやりを持って生きていきたいです。