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死と病気への恐怖

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入院中、薬品のアナフィラキシーショックで「死ぬかもしれない」と思う体験をしてから、近く自分が死ぬのではないかとものすごい恐怖に襲われパニックになります。
あの闇に呑まれるのではないかという感覚、ある程度年齢を重ねれば違うのかも知れないけど、わたしはまだ若く、もし万が一そのようなことになったらまだまだやり残したこと(やりたいこと)、叶えたい夢、思いがたくさんありとても強く、不安や恐怖も人一倍強いため、死ぬのは物凄く恐く苦しいだろうと想像してしまい、どうしようもなく辛いです。気になって過去、今のわたしと同じくらいで闘病して亡くなった方のドキュメントなどを見てしまい、余計ものすごく恐ろしく感じました。

入院中の体験から3ヶ月ほど経ち、体験そのものの記憶は薄れつつありますが、どうしてこんなにも恐怖が根強く残っているのか、自分の体のことが気になってしまってもし万が一○○(怖い病名)だったらどうしようといても立ってもいられないほど怖くなります。わたしは死にたくないです、怖い病気には絶対なりたくないし、手遅れの状態はもっと嫌です。
毎晩目が覚めてしまい、不安が押し寄せてきてとても恐くなります。不安が収まりません、

どうぞ宜しくお願いいたします。

2022年10月21日 21:58

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

映画が過ぎ去ればスクリーンは白い布

心は無常だという真理を覚えておいてください。
心にはさまざまな思考、思考に誘発された感情、感情の残り香のような気分の上げ下げが、瞬間瞬間に浮かんで消えていきます。
心は瞬間ごとに変化し、毎分毎秒に新しい心に生まれ変わっています。
ということは、「私」も瞬間ごとに新しい自分なのです。
たとえば、映画が終わればスクリーンは真っ白な布に戻ります。
あなたが抱く不安や恐怖の映画も必ず過ぎ去り、心のスクリーンが静かで真っ白な落ち着いた状態に戻る時間があるはず。
ですから、どんな不安や恐怖もスクリーンを汚せない、通り過ぎる映画だと思って、安心してください。
また、台風が来たら雨戸を閉めたりして、台風が通り過ぎるのを待ちますよね。
もしも、恐怖や不安が嵐のように襲ってきたら、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を称(とな)えてください。
仮に今死んでも、念仏をして救いを求めるなら、阿弥陀仏はあなたを極楽浄土にすぐに迎えてくださいます。
南無阿弥陀仏、
なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ
と口ずさむ念仏を「心の雨戸」だと思って、台風(不安や妄想雑念)が過ぎ去るまで念仏に守ってもらいましょう。
念仏すれば極楽に往生できる。
だから、生きても死んでも問題ないと思いましょう。

2022年10月22日 4:39
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有り難し
おきもち


がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

願誉浄史さま
読んでくださり、お返事を下さって、ありがとうございます。お礼を書くのが遅くなってしまいました。
心も「私」も一瞬ごとに生まれ変わっている、無常である、大切なことだと思いました。
怖いかもしれないことの心配をしているより、阿弥陀さまもいらっしゃることですし、安心して今一瞬を充実させて生きることを大切にしていきたいです。
ありがとうございました。

「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答一覧

多忙で坐禅会に行けない・無意識下の恐怖

お世話になっております。 以前より、死の恐怖が強い事について相談している者です。 今回は、坐禅会に行く事以外の方法で、無意識下の死の恐怖と生きていることの気持ち悪さを抑制できる方法があれば教えて頂きたく質問致しました。以下、詳細です。 自分の不安一つ一つに暖かなご回答を頂き、今は「頭でっかちになりすぎず、坐禅会などを通して身体で仏道を学ぶ」ことを教えて頂き、実践したいと思っていました。 しかし、多忙のあまり、一度も坐禅会に行くことができていません。また今後も、先1〜2ヶ月ほど予定が詰まっています。 にもかかわらず、死の恐怖がまた、日に日に強くなっています。特に睡眠後一時間程度で、本当に急に「私は私の身体から逃げられないのだ、いつか死ぬ、死んだらどうなるか分からな、死ぬ現実から逃れられない」と思い出し、自分の叫び声で目が覚めます。夢現のせいで、意識的に考えないようにすることができないため、本当に毎日起こり、それが怖くて眠れなくなり…の悪循環です。これが2〜3ヶ月続いていて、心身ともに参っています。 空き時間に、お薦めしていただいた本を読んだりyoutubeを見たりはしていますが、それを観ている時は少しだけ心が落ち着くのですが、夢現の時の恐怖は抑制できません。お念仏も同様です。また、お念仏の動画を流しながら寝れていた時期もあったのですが、最近はお念仏が切れるとむしろ起きてしまうようになったため、こちらも上手くいきません。 毎日死の恐怖を嫌でも思い出すので、昼間も、自分の手が一人称視点でしか見れない事にふと気がついて、いつか消滅する身体や、死そのもの、それに伴う記憶の消失を強く自覚し、生きているのが気持ち悪く、恐怖で叫ぶ…といった具合に、「生きている事」も肯定できないのです。だから、生きているだけでつらいです。 前置きが長くなり申し訳ございません。 上記したような状況から、少なくともあと1〜2ヶ月ほど、適切な坐禅会などに参加できない中で、「睡眠時の無意識下の恐怖」と「昼間の生きている事の気持ち悪さと恐怖」を少なくする方法について、アドバイスを頂きたいです。 お時間ある時で構いませんので、ご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 5
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死、別れ、時が流れていくことが怖い

死、時間が過ぎゆくこと、全てのものとやがて別れなければならないことが怖くてたまりません。 立て続けに可愛がっていた愛猫を亡くしました。 二匹とも老齢で死ぬことは当たり前の年齢、特に苦しむこともなく穏やかな最後でした。 ペットロスなんだと思いますが、猫達がいなくなった哀しみや寂しさの他に漠然とした不安、恐れが湧き上がりしんどいです。 今は一緒に嘆き哀しんでいる家族ともやがて別れがくる、こうしている間も1秒1秒それまでの時間が短くなっている。 その次の別れの瞬間に今のことを思い返しているような、あっという間に来るべき時が来てしまうような気がしていてとても怖いです。 気分転換に外に出ても葬儀場やお墓の看板ばかりが目につき、世界が裏返ってしまったような気になります。 これまでは遠く空の上にそういうものがあって、今生きている世界はしっかり地にあるイメージだったのが、海の上にある小さな小島にいて、すぐ足元に深くて暗い海の底が広がっている、自分が生きている世界はとても心許ないものですぐに溺れてしまうのではないかというような気持ちになります。 在宅勤務でずっとつきっきりだった為か、死を真正面から受け止めすぎた気がしています。 どこに行こうが逃れられないことに気付いてしまいました。 昔の偉いお坊さんが、死ぬ間際に一筆と頼まれた時に死にたくないと書かれたという話を見かけ、偉いお坊さんでも怖いのかとどうしていいか分かりません。 自分が死ぬ前の晩はどんな気持ちか、親が死ぬ前の晩はと、そんなことばかり考えてしまいます。 さっきコンビニへ行ったことも10年前の旅行のことも思い出すとどちらも一緒で、全部の物事がどんどん過ぎ去っていくような、時間が圧縮されてしまってあっという間に全てが終わるような気持ちになってしまいます。 過去が全部一かたまりになっているというか…。 時間がすごいスピードで自分を削り取って過去のかたまりに押し込めていくような感覚があります。 とても怖いです。 仕方ないことを考えるのをやめたいです。 どうしたら今のことだけ考えられるようになるでしょうか。 偉いお坊さんでも死にたくないのに私のような人間が怖くなくなるなんてありえるのでしょうか。 どうしてこんなに寂しく悲しく辛い死や別れが避けられないこととして存在しているのでしょうか。

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死の恐怖にどう対処すれば良いですか

こんにちは。 女子高校生です。 私は、幼稚園児の頃から、死ぬのが怖くて怖くてたまりませんでした。 自分が死んだ後も、世界は回り続けるし、宇宙は、人間からすれば永遠ともとれる間存在し続ける、でも自分はもう意識がなくて、何も認識できない、ということが、本当に本当に怖いです。 最近、その恐怖が強くなった上、死の恐怖に頻繁に襲われるようになりました。 ふとした瞬間に死について考えてしまい、怯えてしまいます。 今まではそんなことなかったのに、過呼吸みたいになったり、頭から血の気が引いていくのを感じたり、気持ち悪くなったり、鼓動が早くなったりと、最近は恐怖に身体的な苦痛も伴ってきました。 死は、私にとって、これまでの人生の中で唯一のどうしようもない、打ち消せない恐怖です。 なので、この感情の対処法が分からず、パニックになってしまいます。 宗教的に考えて、自分をなだめようとすることもよくあります。 しかし、輪廻転生は、転生した自分は今の記憶は無い、という恐怖が付き纏い、天国や地獄も、それが永遠にしろ終わりがあるにしろとても怖いです。 お坊さまのみなさんは、死への恐怖心とどう付き合われていらっしゃいますか。 御回答どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 3
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親の病気と死の恐怖

父の事であたまがいっぱいです。 今までは、持病はあるものの元気に過ごしていたのですが、突然体調不良になり原因を追求できないまま日に日に衰えていき、ただうろたえるばかりでした。 認知症かも。 兄弟でそれを告知するかどうか意見が分かれて、うまくコミュニケーションがとれなくなりました。 結果、認知症ではなく他の病気のようで検査待ちですが、コミュニケーションがとれない期間がとても長く、その間に病気がかなり進行してしまい深刻な状況になってしまいました。 私が告知をためらい検査を拒んだことから始まり、周りを混乱させてしまい、その結果父を苦しめる事になってしまいました。 あの時、ちゃんと検査を受けていればもっと早くに病気がわかったのに… あの時、他の病院に行っていれば… あの時、余計なことをしてしまって… あの時、きちんと話し合えば良かった… あの時もあの時も。 何よりも何よりも、父の寿命を縮めてしまった責任を感じ、申し訳ない気持ちと後悔と反省で心が押し潰されそうです。 時間は戻らないとは、分かってはいるものの、今度は、父がいなくなるのではと怖くて怖くてたまりません。 いい大人なのに、未熟者で情けないです。 父に対する罪悪感と死に対する恐怖心と、どう向き合っていけばいいのか教えていただきたいです。 よろしくお願いします。

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考えない事は先送り? 受容するには?

以前よりお世話になっております。 私は死の恐怖と、それに伴う宇宙や自分の存在などといった説明のつかないものに対しての恐怖が異常に強く、困っています。 「今生きている幸せな世界(自分)はいつか終わる」「そして二度と戻らない」と思うことが頻繁にあり、その度に発狂したり、自分を殴ったりしてしまいます。 そのため、この強すぎる恐怖への対応策を探しており、hasunohaを利用させて頂きながら様々な角度から死について考えています。 しかし、死について考えるだけでも恐怖に襲われ、精神状態が極めて悪化してしまうのです。上記のような状態になってしまいます。 死について考えるのをやめると、日常の快適さは保たれます。ただ幸せで、よく食べてよく眠れます。 でも、それは問題を先送りにしているだけではないかとも思います。死ぬ間際になって、恐怖に溺れて発狂している自分を思うと、今のうちから解決へ努力すべきなのではないか、と思います。 これについて、どうやってバランスを取っていけば良いのでしょうか?お坊さん方のお考えをお聞かせ頂きたいです。 また、以前の質問で、仏教の教義を理解しても「受け入れる」事ができていないと教えて頂き、まさにその通りだと思いました。 死に限らず、「強い恐怖を伴う現実を、受け入れる」のは、どうしたらできるのでしょうか? 漠然とした質問で申し訳ございません。ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 12
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ