働き方への折り合いの付け方
「働き方」の折り合いの付け方について。久しぶりに質問致します。私は現在非正規で働いています。元は正社員でしたが、常に上司と同期に監視されていることがきっかけで萎縮してしまい、最終的には抑うつ・自律神経失調症の診断がおり退職しました。その後すぐに転職し、現在全く違う職業に就いています。休職期間は設けず、働きながらも希死念慮に長年悩まされていましたが、今は薬の服用もほぼなく、プライベートでは転職後に出会った人と結婚も決まり、1番安定している時期であると感じています。そこで長い目で見た時に生活を安定させるべく、正規で働きたいという気持ちが強くなりました。(母が病気で働けなくなるリスクが高くなってきたことも理由のひとつです)しかし前職のトラウマや、学生時代前職の会社以外内定がもらえず、誰にも言っていませんが卒業までに就職できなければ自死する計画を立てる程追い詰められていたことを思い出すと、キャリアは積めず雇い止めの可能性があっても負担の少ない非正規の仕事をする方が良いのかと悩んでいます。周りに「若いんだから何処でも採ってくれるでしょう!」と言われると、励ましだと分かっていても「そんなことなかったよ。無責任なこと言わないで」と苦しい気持ちになります。やはり結婚に仕事にと、何もかもを求めるのはワガママなことなのでしょうか。働き方への折り合いの付け方、気の持ちようなどでお言葉を頂けるとありがたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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拝
1番大事なのは
金銭的安定よりも
あなたの心が安定している事
仏教では安然とも
今の時代は経済の時代なので
生産的な事が重要視されすぎているかもしれません
ですが本当に大事な事は
あなた自身が安然の中にある事です
読ませて頂き思ったのですが
こうあらねばならぬ
ああなりたいが強すぎるかもしれませんね
世の中は自分で思い通りになる事はほぼ無く
良くも悪くも
どちらでもないにしろ
希望通りにはいきません
ただ自分が歩いた道だけはあります
どの道を歩けども
歩んだ事実は変わりなく
それ自体が生きるということでもあります
清貧という言葉がありますが
きっと貧しさの中に
侘しさを感じるのではなく
貧しさの中に美しい道を見い出したのでしょうね
あなたの中に
こうあらねばならぬ
こうありたいが
昔のままであるなら
自分自身の適正をよく理解して
道を選ぶ時かもしれませんね
色んな生き方があります
私もあまり社会に適正が無いところがあります
ですからそれに気がついて受け入れた時から
自分の人生が始まったのでした
若いのだからなんでもやるは大事な事です
若いうちにした体験、苦労、失敗は全て糧です
ですが自分の心や未来を自分で縛り付けるのは非科学的で自分を痛めつける虚無な事としっかり理解してください
人並みを求めるのではなく
自分なりであること
今のあなたに足りないのはそんな言葉かもしれません
合掌
質問者からのお礼
大変ありがたいお言葉をありがとうございます。周りにも少し相談してみましたが、体を大事にするよう言われました。今後のことについてはもう少し考えて、人並みではなく自分なりであることを大事にしていこうと思います。