「自分を褒める」がわからない
久しぶりに相談させていただきます。
自分をダメだと思ってしまい辛いです。
先日あるお笑い芸人の方が、「TVに出た後にスタッフと反省会をしていたのをやめて絶賛してもらうようにした。100点満点はない世界だからそうでないとメンタルがもたないことに気付いた。」と言っていました。
私自身も最近は自分を叱咤激励するだけでは進まないと思い、鼓舞することの必要性もわかってきましたが、心がついていかないです。
学生の頃から、「もっと楽に生きな」「こうじゃなきゃダメだと決めつけるな」などとよく言われます。でも、そう言われる割には努力できず、色々なものの完成度は低いのです。
コミュニケーション力がある方でもなく要領も悪いので、仕事や家事ができる方ではありません。そんな中自分を本心から褒めるのは難しいと感じています。
ただ、自分を認められないあまり身動きとれなくなってきているのも事実で…どうしたら自分を受け入れられるようになるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
“完成度”などどうでもいい
物事において、
最も大切なのは始めることです。
次に大切なのは終わらせることです。
これは動きません。
これを忘れるから、褒めるのが難しく感じてしまうのです。
本心から自分を褒める必要などありません。
お世辞でいいのです。
お世辞も言えないのであれば、それくらいは練習してください。
お世辞の完成度もどうでもいいです。
なにかを褒めようとするその心の動きがとても大切なのです。
“完璧主義”を間違う人たちがいます。
“完璧になりそうにならないと動かない人”ことをそう言ってしまう人たちです。
きっと違いますよね。
“完璧主義”とは“完璧になるまで頑張る人たち”のことでしょう。
努力できないのなら、失敗だらけの褒めでいいのです。
最初は、お世辞すらまともに言えないでしょう。
でも、最も大切な“始めること”はできたはずです。
始めなければ、失敗すらできません。
だから言ってあげましょう
「さすが私、よく起きれた」
「さすが私、よく出勤した」
「さすが私、今日も生き延びた」
それだけでいいんですよ、褒めるなんてくらいのことは。
質問者からのお礼
けいじょう様
はっとしました。特に、完璧主義を勘違いして捉えている、ということと、褒める心の動きそのものが大事だ、ということに。
余裕もって出勤して仕事し、用事も足して帰ってこれました。始まって終わったので今日は満点です!
これを毎日続けていきます。お答えいただきありがとうございました。