死を前にして
当然ですが、死は誰の目の前にもあって、それを余命という形で知らされた時は感謝すら覚えました。言葉どおり、死ぬ気で生きて来ました。
宣告された期間を超えた今、すでに余生な生活の感覚で、 すでに亡くなっている数人の友達を思うと、自分の死んだ後の周囲の人間は、こんな感覚なんだな、という経験もさせて貰い、恐怖より安堵でした。
ところが最近、夫に、ここ10年の間、(私から)愛されていると思えない、と言われました。
がっかりして、身体中の力が抜けました。
私なりに愛してきたつもりでしたが、彼の求める形では無かった事、ずっと彼はその想いを持っていること。私には同じ10年という時間は残されてない。その上、体力が明らかに落ちてきて出来ないことが増えてきているのが分かります。彼は、病気の事は知っていますが病状は知りません。
でも、そんな言い訳よりも私の気持ちが落ち込み過ぎて、家にいるのが辛いです。
何をする気も起きず、生きる素晴らしさを毎日見せてくれていた植物たちの世話すら出来ないのです。
ましてや生きている大切な娘の前で元気に振る舞えず、『大丈夫?』と言わせてしまっています。
娘が情緒不安定になるかもしれない、と心配です。
私が元気に明るく居ることが1番良いとは思うのですが、どうしてもできず、かと言って家を出ることもできません。 心を落ち着けて暮らす(少なくとも娘の前で)には、なにか試す方法はありますか? 教えて頂きたいです。
いつ死んでもおかしくない状態で生きる気がなくなった今、早く死んだほうが周りの人にも良いのだろう。 彼は私が居なくなった後の事を思い、今は耐えているのなら、早く死んであげたい。
いつ死ねるかな。
と、だいぶネガティブです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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生ききること
log 様
ネガティブとおっしゃる中でもいろんな感情が湧きたっている感じですね。
私は、あなたの病状を思い、頑張ってるなと感じました。
あなたの余生という状況は、諦めとは違い、まだまだ希望を繋いでおきたいし、
愛情を確かめたいという思いが、ひしひしと伝わってきます。
ですので、たとえ、ご主人の言葉があなたの心情に合わなくても、植物の世話が出来なくても、あなたはあなたなりの、生き方をしてください。
自分自身の為の生き方です。無理をしない、自分でできることで、生ききることを思ってください。それは病と闘いながら、笑顔を見せるだけのことかもしれないし、「ありがとう」を伝えるだけのことかもしれません。もしかしたらお嬢様にもっと優しく出来ることかもしれないし、手紙をしたためることかもしれません。そのことを決めれば、ご主人にもお嬢様にも、愛情や希望や勇気や強さが伝わるでしょう。
生ききることを決めた時の笑顔と
ただ死んでいくかもとネガティブになった時の作り笑い的な笑顔とは
受け取る立場の人の印象は全く違います。
最後のその時まで、生ききる。お嬢様やご主人に、愛情や優しさを伝える、そして自分自身に思いやりや寛容さを向け続ける。そんなことを意識して過ごしていけば、本当の落ち着きと安らぎが得られるのではないかと思います。
そして、一人で辛さに立ち向かうのではなく、心の内を話せる人に自分の気持ちを打ち明けてください。お医者さんや看護士さん。またはこのような相談サイトで打ち明けてください。癌患者の会でもいい。孤独にならずに自分の気持ちをただ評価もされず判断されず温かく受け入れてくれる場所が必要です。私にメールでもいい。それがあなたのさらなる支えとなるでしょう。
私はそう思います。参考にしてください。
追伸、お礼メッセージありがとうございました。名前間違えてましたかね。すいませんでした。笑顔とともに、自分に優しさを向けていきましょう。この度のご縁に感謝申し上げます。合掌礼
質問者からのお礼
ありがとうございました。笑顔、そうですね。落ち着いてきました。