過去の自分が許せない
初めての質問失礼します
私は過去に①上司と不倫関係になりました
②彼女のいる男性と関係を持ちました
③そして友人の愚痴を本人に聞かれ、友人とは疎遠になりました
上の①と②の出来事では、深く悲しみ傷付かれた奥さまと彼女さんに謝ることなどなく、保身のために何もせずに逃げるようにその人たちから遠ざかりました
③の出来事では、友人に謝って、一度許してもらいましたが、疎遠なままです
これらの出来事があり、私は今、自分は大きな罪を犯したのに謝りもしないでヘラヘラと生きている、私は口を開けば人を傷付けてしまう悪い人間だ
と、何年もの間頭の中でふと思い出しては自己嫌悪にかられ、罪悪感でいっぱいになります
このような過ちは2度と犯してはならない
そう思っておりますが、思っていたところで罪は消えません
このような思考が①の罪から数えると7年程くるぐると頭の中を駆け回っています
今は家族に恵まれ家庭を築いていますが、このような幸せを、私のようなものが掴んで良いのか?
毎日のように思っておりますが、謝りに行く勇気もない、自分が結局かわいいだけの未熟者で自分に呆れます。自分の事が信じられません
ほぼ毎日のようにこういう思考に囚われるのは良くないとわかってはおりますが、なかなか抜け出せません
自分の中での気持ちの持ちようと言いますか・・・
この罪に対して、背負っていく勇気がないのかな、と思うのです
どうしたら勇気が湧きますか?
どうしたら腹をくくれますか?
あまっちょろいことを言っているのは承知の上で質問致しました
ご回答お待ちしております
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バランス
ご相談拝読しました。
ずっと心の底に罪の意識を抱えておられるのですね。苦しいですね。かつみさんはあまっちょろいことなど言っておられません。むしろ真摯に課題に向き合おうとされているのでしょう。
しかしながら、その気持ちはこのまま抱えていくほかないようにも思います。だからといってかつみさんが幸せになってはいけないなどということはありません。むしろ今のご家庭とは誠実に向き合い、どうか幸せになってください。
過去の行為は確かにいけないことです。謝るのも自己満足かもしれません。
でも、それらの行為はかつみさんだけが悪いものでもないし、かつみさんだって自分の意思選択だけでそうしたわけではないのです。
私たちに完全なる自由意志はないのでしょう。必ずその時その時の環境・状況に左右されます。生まれの境遇も、人との出会いも、涌いてくる感情も、何一つ思い通りにはなりません。かつみさんの行為はあらゆる縁(状況・環境・原因の複合)によって紡ぎ出されたものです。そいう意味では責任から解放されていいのです。
しかし、それだけならば今度は自分が自分でいる意味がなくなってしまいます。仏教はけして運命論を説くわけではありません。自分の完全な自由意志はなくとも、それでも今・ここで自分が選択する行為とその後の結果は無関係では無い。そのように主体的に責任を背負い直す。
かつみさんの人生に起こる出来事はかつみさんの思いを超えたものです。でも、それらとかつみさんの選択はまた無関係でもないのです。
自分だけのせいにしなくていい。でも、自分は自分として存在する責任がある。そのバランスをとりながら、歩んでいきましょう。
家庭では難しい愚痴はお寺やこうしたサービスで仏様や僧侶に聞いてもらうのもいいでしょう。
どうか、いたずらに自罰するのでは無く、主体的な勇気でこれからを幸せに生きてください。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます
過去のことはすべて自分が悪い
何て事をしてしまったのだろうと思っていましたが、今回の回答で少し心が軽くなりました
ありがとうございました