以前にも相談させていただきました。定年をまじかに迎えいい年齢かつ、20年以上も前のことですが、心がいまだに揺れ、かき乱されます。アドバイスも何度も読ませていただきましたが、相談させてください。
20年近く前に親族と争い(法的)になりました。耐え難い苦しみ、憎しみの末、争いは決着しましたが、残念な事にその後両親が亡くなりました。死との因果関係は分かりませんが私としては心労が原因となったと思っています。
争い後、親族とは断絶し、自分も家族を持ち月並みな暮らしをしています。親族は健在のようです。顔も見たくありませんが、近隣に住んでいることもありまれにみることもあります。心がみだれます。
既に長い年月が経過しこの間自分も色々な人生経験をしてきました。妻子供と普通の暮らしをしていますが、ふと当時の事を思い出す事もあり、まだ親族に対する憎しみが消えません。亡き両親は、憎しみは雪解けのように時間が解決するといっていましたが、そうでもないようです。怨憎会苦、それほど長くない残りの人生このまま憎みを抱きながら行くのでしょうか。許せると思う日は来るのでしょうか。亡くなった両親はどう思っているのでしょうか。引っ越すのは現実的ではありません。自分の人生に意識を向けようと努力はしておりますが、「心構え」についてアドバイスをいただければと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今までの質問も読ませてもらいました。
法的に争うことになったのですから、当時の心労はいかばかりかと拝察致します。親族なのに、なぜこんな想いをしなくてはならないのかと、法的に決着がついたとはいえ、受けた苦しみや憎しみまで消えるわけではありませんものね。時間もかかったことと思います。神経や身を擦り減らし、無念や虚しさを抱きながら両親が最期を迎えたのではないかと思うと、悔しくて堪らないですよね。怒りや気持ちのやり場がないですよね。
あちらは今でも平然と生きているのだろうと思うと、こんなメチャクチャにされて、家族が追い込まれ、命を終えていかねばならなかった無念を、何かに引き換えてもらわねば気持ちが収まらないですよね。
受けた傷は、思いの外 深く、えぐられたままなのでしょう。あんなことがなければ、もっと別の生き方があって、映る世界も違って見えたでしょう。
悔しくて堪らないですよね…。
起きたことを、無かったことには出来ません。だから、苦しいのですよね。
生きるということは、求めることであり、だから苦しみを生みます。
大切な人を想うからこそ、辛かっただろうと自分も気持ちが揺れ悲しみ、理不尽に苦しみ、そんな苦しみを与えた相手がいることを憎み、そんな現状に生きていかねばならないのが、この人間社会(娑婆世界)なのでしょう。
仏様は、苦を生む どうにもならない世界で生きている衆生を、苦しみの無い仏の世界へ救いあげようと、願ってくださっています。
私たちが抱える苦しみも憎しみも悲しみも、知ってくださるからこそ、この世の先に救われていく道があります。
今、仏様のお心に触れたときに、その救いが、これからの生きる頼りに、支えに、なっていくかもしれません。
皆、色んなことを抱えて生きています。人に言えないほどの苦悩を抱えている人も多くいらっしゃるでしょう。生きるとは、何ともしんどいことですね。私も、いろいろありました。解決できないままの生死の問題も。考えれば考えるほど、煩悩ばかりが膨らみ苦しい。
だから、仏様を頼る生き方をしています。苦悩の真っ只中にいる私を、救わずにはおれんと、願ってくださる仏様のお心に触れていきたいのです。亡き人は、仏様に抱かれて、救われていったのですから。いつの日か、あちらで必ず遇えるのです。
憎しみに駆られたら手を合わせましょう
仏様の声を聴いていきましょう
迷いを無くしたければ、以下の文を真剣に読むことです。そして真意を読みとる。
まず、相手が街中であなたをちらりと見てもあなたと同じ気持ちにはならないでしょう。仮に憎んでいてもあなたの心情と相手の思うこととは違う。あなたは「A」という怨念の炎をおこしている。
また、他の人がそのあなたの憎む親族を見てもうんともすんともいわないでしょう。
あなただけがその人に対して、Aという怨念の炎をおこしている。あなただけが。あなた限定で。あなたの脳内だけで。
さて、では、あなたの脳内のどこらへんにそのAという🔥怨念の炎🔥が燃える暖炉がありましょうか。
そして、その怨念の炎を燃えるのはいつか。どこでか。だれがやっているか。
みな、オレが一人で相手のいないところであっても、定期的にめらめらとやっておるのか!(# ゚Д゚)…🔥
そこにまず気づくことです。
❝相手のいないところで自分だけが、自分の頭の中で。❞
あなたにとって、その憎むべき相手は「2人」います。いないはずのもう一人「2人目」があなたの中で生み出されていることに気づきましょう。
一人は相手の実物。あなたが相手の事を思ってもあなたが思うこととはまるで異なる予測不可能なトリッキーな動きをしているご本人です。
もう一人はあなたがその人に対する勝手なイメージを膨らましておられますが、その相手はもうどこにもいません。その正体は貴女のセルフイメージであり、記憶であり、あなた限定のあなたの頭の中だけのその相手に対する想念。実物ではあrません。
つまり、この世にその人は本当は2人はいないのですが、あなたが勝手にその人に対するイメージ、虚像をあなたの脳内限定でたった今も作り上げているのです。
それが怨憎会苦の正体でしょう。
なぜならば、いない相手に腹を立てて、内なる虚像の相手にあなただけがとりつかれたかのように苦しんでおられる。本当に苦しいでしょうし、悔しいでしょう。しかもその相手はあなたの内なる虚像であって、本人はたった今、どこかでまるであなたの妄想とは別の新しい動きをしているのです。誰でしょうか?それは?
そして、その現実の相手とは異なる相手リング上にのぼる前から相手に脅かされているボクサーのような心理で見えない敵を相手にしている。
怨憎会苦を解脱したい!と真剣に求めることです。あなたの負の人生を今から大きく好転する功徳となりましょう。
中田様
とても心のこもったアドバイス有難うございました。以前よりほかの方への回答も拝見させていただいております。
ここまで生きてくると本当にいろいろな四苦八苦がありました。口には出さないけど苦しい思いは皆、しているものですね。もちろん話してくれる人もいますが。本当に娑婆は苦悩に満ちあふれているものだと改めて思います。起こったこと、相手は変えられないんですよね、だから受け止め方、自分を変えるしかないのだと思います。結局は自分なのだと思います。また苦しみがあるから平凡な暮らしが有難い、と思えるんですね。(幸せかどうかはわかりませんが)
先日コロナで延期した亡父母の13回忌を縁のある僧侶の方(父母の葬儀、以降の法要もお願いしております)へお願いした際に、両親は苦しみの無い浄土から我々を見ている、言っていただきました。
これから先も苦しみはあるとおもいますが、自灯明・法灯明、自分・仏さまを信じていきたいと思います。
有難うございました。
丹下様
ご返信ありがとうございました。何度も読ませていただきました。非常に深いお話ですね。もうすぐ還暦ですがまだまだ修行が足りないと感じる日々です。