社会復帰で心が不安定です
大まかな事情はプロフィールに書かせていただきました。
この度長いブランクを経てお仕事を始めることになりましたが、心をしっかりととらえることが出来ず不安で仕方ありません。
仕事をしていない歳月はずっと心に腫瘍があるようでした。
自分の家庭の事情では仕事は難しいと思いつつ、それでも本心では友人たちが迷うことなく定住し、家族親族が身近にいて、手厚いサポートを受けながら社会復帰していくのを羨ましく思っていました。
そうして普段は平然としていても年に何回かは心の腫瘍が破裂して数週間ひっそりと落ち込むのが当たり前でした。
今回は、自分でも何がきっかけか分からないのですが、気がついたら求職活動をしていました。
先方のお話が興味深く面白く伺っていたら、ありがたいことにご縁をいただけました。
あっという間の出来事だったので、未だに現実味がありません。
長年欲しかった機会を得られた夢心地である一方、私がかつて持っていた知識の多くを失っている事実に直面し、老化、無力化、浦島太郎状態という現実に途方に暮れています。
頭の冷静な部分では 失った時間は仕方がないのだから一つ一つコツコツと埋めていくしかないと分かりつつも
気持ちは不安でぐにゃぐにゃと苦しく 焦る気持ちでいっぱいです。
さらにはその心の中でずっと抱えてきた腫瘍が小さくなっていくのを感じ、浮かれてふわふわしている自分もいます。
そんな風に心がとっちらかってしまって 定まらず いつも静かにパニックを起こしています。
この状態のままお仕事が始まる日を迎えてしまったら、相手や家族にも迷惑をかけてしまいそうで不安で仕方ありません。
どうしたらしっかりと構えることが出来るでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
不安は役に立たない
ねこた 様 相談ありがとうございます。
お仕事の復帰、おめでとうございます。
常に前向きで、資格も取ってきたからこその復帰かなと拝察いたします。
とはいえ、不安に覆われたり、心の中の腫瘍が気になったりと、落ち着かない、ぎこちない、やるせない感じでしょうか。
ぐにゃぐにゃと苦しい
心がとっちらかって
静かにパニック
と自分の事は良く解っていらっしゃるので、
そのぐにゃぐにゃと苦しい不安、心の中の腫瘍と感じるものを、一度身体から出して、眺めてみましょう。イメージでいいのですが、その不安の塊が何か訴えるでしょうか?眺めるのがいやだったら、遠くへ投げてみて見えなくなったとしたら、どんな気分になるでしょうか?
または眺めている不安の塊を、高速回転させて破裂させてしまいましょう。破裂した時、あなたは微笑みの優しい光に照らされるかもしれません。あなたのその光に照らされた時、なんて感じるでしょうか?
もしかしたら、その光は、「不安は役に立たない、ただ前を向いて、目の前の今この時の出来ることからやってみよう。」と教えてくれるかもしれません。「一人で悩まず、沢山の人に相談してみよう」かもしれません。「助けを求めていいんだよ、絆・繋がりを感じてみよう」かもしれませんね。
幸せに向かうには、困難に出会う時もあります。でもあなたは自分の事を良く解って、責任を持って進める人です。自分に癒しと優しさを向けて前に進むことを意識していけば、きっと大丈夫かと思います。
辛さが続くときはどうぞ遠慮なくご相談ください。一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。「自分の一部のように感じる」のはいいことです。不安と距離が取れますし、不安以外の感覚が沢山あるということも言えますので。もしかしたら可視化することによって不安が役に立たないのではなく、何かを教えてくれるのかもしれませんね。
また、行き詰ったような感覚に成ったら、どうぞ遠慮なくご相談ください。ご縁に感謝申し上げます。再礼
質問者からのお礼
ありがとうございます。
不安の塊を可視化するように想像してみたら、何だか自分の一部のような気がしました。
大きくなったり小さくなったり姿を変えたりしながら 一生私と一緒に生きていくモノのように思えます。
そう思ったら嫌な気持ちにはなってもそれと手を取り携えて前を向いていくしかないのかなと。困り事はひとつずつ片付けて、あとはソレに飲み込まれないようにしていければ良いのかなとも思いました。
飲み込まれそうになったら、どうかまたぜひ相談させてください。