過ちがある人間は幸せになれない?
過去に過ちがある人は幸せになってはいけないのでしょうか私は過去小さい頃に過ちを何度も犯してしまいました。
その時は好奇心の赴くまま人を傷つけてしまいました、傷つけてしまった方には謝り許しをもらえました。
過去の過ちに対してけじめをつけ過去の過ちをこれからに活かし善良な人間になる人は幸せになれないでしょうか?
過去の過ち(言わなきゃ分からない)を言わずに生きるのは卑怯な人間でしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰でもすぐに幸せになれます
拝
幸せも不幸も
今現在あなたが見ている方向です
人生のどこかで待ち受けている「モノ」ではありません
あなたが幸せな事を考えてれば
幸せだし
あなたが過去の問題を考えて落ち込んでいるなら
あなたは不幸の真っ只中
つまり幸せも不幸も思考の癖といえます
過去の方ばかり見ているとそういう癖がつく
今を楽しむことしか考えなければ
そういう癖がつく
自分の心の成熟を常に考えていれば
自然に成熟してもっと深い幸せに気がつく
スポーツのトレーニングと変わりません
やり続けると必ず結果がついてくる
単純な事なのです
これを因果の法則とも言います
過去の過ちを確かに話す事(カミングアウト)または、話せるようになる事で過ちに距離を置けるようになり、過去の問題の処理速度を上げるという意味で大変役に立ちます
是非そうできるなら
誰かにお話しされれば良いと思います
ハスノハをそういうふうに使われるのも良いですよ?
私も自分がいじめられたり
ペットや虫で弄んだ幼少の記憶など嫌な事は確かに沢山ありますが
それを話したからと言って幸せになるわけではありません
むしろ恥ずかしいだけです
でも次第にそんな恥も含めて自分だと受け入れられるようになる
これは大きな変化といえます
これ自体が懺悔や告白の効果なのかなとも思います
仏教の場合は懺悔は仏様にするので人である必要はありませんよ?
人は自分を責めてしまう
まるで100満点を出せない自分を貶す
ところが100点の人間なんかこの世にいない
みんな大体60点位
みんなどこか欠けてるし
どこか未熟
今後
あなたが自分を許せるようになる事が
とても大事なのかと思いました
合掌