hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

真言宗の宗派の違いを教えて下さい

回答数回答 1
有り難し有り難し 94

真言宗霊雲寺派、真言宗智山派、真言宗豊山派とあります。

祖父が生きていた頃は「成田山」へお札をもらいに行ってました。
「成田山」は「真言宗智山派」と書いてありました。
今回、お墓の件で調べていたところ先祖代々のお寺さんが
「真言宗霊雲寺派」という事がわかりました。

お寺自体宗派が変わる事などあるのでしょうか?
また、違いなどあるのでしょうか?

よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

真言宗に限らず……

ぷーさん、初めまして。
沙門 亮鷹と申します。

まずはじめに少し脱線しますが、予備知識としてお読みください。

真言宗に限らずですが、伝統仏教各宗派には△△宗〇〇派、もしくは〇〇△△宗というように同じ宗派でも様々な流派があります。
(高野山真言宗や東寺真言宗、真言宗霊雲寺派、真言宗智山派、真言宗豊山派などなど)

ご存知かもしれませんが、真言宗と名前のつく宗派は弘法大師空海様を宗祖とし、一部、新義真言宗では空海様を始祖、興教大師覚鑁様を開祖としています。

ですが、真言宗十八本山と言われるように主だったもので十八、実際にはもっと多くの本山があり派があります。

このようになった詳しい経緯は省かせていただきますが、わかりやすく言えば、宗派を立ち上げるほどの偉いお坊様でしたので全国各地に所縁のあるお寺があったり、その地を任された高弟(優れたお弟子さん)がおられ、それぞれが、そのお寺を中心に教えを広めた結果、様々な派に分かれました。

また歴史の中で明治期や昭和初期の戦中に何度か統合されましたが、結局は現在のように様々な派に分かれて活動しております。分かれておりますが、各派様々な交流をして仲良くやっております。

さて、本題に戻りまして

>お寺自体宗派が変わる事などあるのでしょうか?

同じ宗派(例えば真言宗であれば)しばしばあります。
変わる理由、転派の理由は様々ですが、その時のお寺の住職の都合が主です。

>また、違いなどあるのでしょうか?

同じ真言宗どうしであれば、本山(親寺?、本部みたいな大きなお寺)が異なるだけで、違いはそこまでありません。
読むお経は同じでも、お経の節回し(イントネーションやアクセント)が違ったりちょっとした所作(作法)が少し違うだけで一般の方からすればほとんど違いはわかりません。

なので、一般の方はそんなに気にしなくても大丈夫ですよ^^
合掌(^人^)

{{count}}
有り難し
おきもち

未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸いです。 私自身、いわゆる「お寺の息子」として生まれましたが、小さなお寺ということや両親の教育方針もあり、感謝すること、仏様、お大師様に手を合わせることの大切さは教えられてきましたが、後継者としてのプレッシャー等は全くありませんでした。 実際、当初は仏門に入る心づもりなどなく、仏教とは関係のない分野の理系大学に進学し、在学中に起業。 仲間とIT系の会社を立ち上げたり、飲食業や人材派遣などの運営企画に携わる傍、ディスコやクラブのDJやバーのマスター、占い師(手相、姓名判断、九星気学、宿曜)としても仕事しておりました。 が、その中で思うことが度々あり僧侶を志し、お大師様とご本尊様のご加護のもとご縁に導かれ仏門に進みました。 今もいつもお大師様とご本尊浪切不動明王様方にはお導き頂き、助けて頂いております。 (趣味程度ですが、暦の研究や宿曜経の読解、気学をメインに占いは現在も嗜んでおります) 「目に見える世界」「目に見えない世界」を共に大切にして釈尊の末弟、宗祖弘法大師空海の末弟として、真言僧侶の立場、金剛乗仏教・密教の観点からお答えさせていただきます。 皆様からの相談を通じて、また他の僧侶の皆様のご回答を通じて多くを学べればと思います。 皆様との御法縁に感謝して精進してまいります。 煩悩即菩提 即事而真 当相即道 また自坊(金剛寺)では護摩祈祷会や阿字観体験会(阿息観による密教瞑想体験)も開催しております。 また自治体や地元社会福祉協議会様や企業、団体様より依頼を受けて法話(講話)や瞑想指導を不定期で行っております よろしくお願いいたします。 合掌
可否が時期によります ご相談ください

質問者からのお礼

金剛寺の沙門 亮鷹様

早々にお返事をありがとうございました。
調べてるうちに「???」だらけになってしまいました。
転派←これは住職さんの都合なんだとわかりました。
どうもありがとございました。

今はお寺さんで手を合わせたり、住職様の説法などを聴くような会も無いのが寂しく思います。
若い時はさほど気にも止めてない「仏教」歳を重ねるに連れ、手を合わす事の心地好さや
有難さ、朝には「今日も1日よろしくお願いします」夕方には「今日も1日ありがとうございました」と言えるようになり仏様のお導きだと感謝しております。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ