先生が信頼できない
久しぶりで大きめの悩みを抱えてしまったため、ご相談します。
文化系の趣味でとある団体に、2年以上所属しています。
そこの指導者の先生を最近まで素晴らしい方と思い信頼していましたが、今はそうではなくなってしまいました。
それは、わたしの大きな落ち度がきっかけで、厳しめのお叱りを受けたときからです。
わたしの落ち度というのが、先生や団体の運営責任者にしっかり確認を取らずに、同じ活動をする他団体と交流しようとしてしまったことです。
他団体の責任者の方とまったく別の方面で知り合いになり、同じような趣味があることを知り、それならばと軽い気持ちで、その方の団体にひとりで見学に行ってしまいました。
事前にその責任者の方と「見学に行かせていただけますか」「歓迎します」とやり取りがあった上でのことですが。
あとでお叱りを受けて分かったのですが、本来なら、ひとりの所属者にすぎないわたしが、そういった見学をすること自体がそもそもあり得ないことだったようです。
まず、そういったルールについて無知だったことは、その趣味の世界についてリスペクトを欠いていたということですから大きな落ち度です。
そして、もし仮に無知だったことは100歩譲って仕方がないにしても、事前に自分の側の団体にしっかり確認を取って行動しなかったことが、何より人として基本的な落ち度だったと思います。
それは心から反省しています。
事の経緯をすべてお話しして、先生にも「もうあなたにわだかまりはありません。もし何か上の組織から問題視されても、仲間としてみんなで守れますから」と言っていただけています。
でも、わたしの心には逆にわだかまりができてしまいました。落ち度があって許していただいた側が何を言う、と思われても仕方ありませんが。
叱責の際、先生は「そんなことをするなんて、あなたが○○と思われるかもしれない」と、差別用語(とわたしは思います)を使われたのです。「精神に異常をきたしている人」という意味の言葉です。
それから、わたしや家族の病歴なども話すことになりました。
先生にしてみれば、問題を抱えたわたしを見捨てず仲間として配慮してくださるつもりでの言動だったのだと思いますが、わたしはもう、先生を尊敬し信頼して活動を続ける自信がなくなりました。
でも、今の段階で団体を辞めてしまってもいいのか、迷っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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先生も煩悩だらけの凡夫
私達は仏様のように悟りを開いていない凡夫(ぼんぷ)です。
私達の心は、欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩だらけです。
学校の「先生」なら、教員免許を取る過程で教育心理学の授業もあるので、ある程度「先生らしさ」を演じるテクニックも身に付けておられます。
しかし趣味の「先生」はあくまでその趣味に関して詳しい人にすぎない。
あなたの中で、「先生」というラベルを貼って、「先生だから人格者であるはずだ」という期待があったのかもしれませんが、趣味が上手なことと人格者であることはあまり関係ないのです。
とにかく、先生にも、あなた自身にも、
「欲・怒り・怠け・プライドは煩悩。煩悩は悩み苦しみの原因。」
という法則はあてはまるのです。
自分の煩悩には素早く気付くように心がけ、他人の煩悩に対しては「凡夫同士だからおたがいさま」と大目に見てあげる慈悲の心を意識しましょう。
そんな先生にも、「よく見たら可愛いところもあるじゃないか」と、観音様のように慈しみの眼差しを。
質問者からのお礼
願誉浄史様
お智慧に満ちたご回答、ありがとうございます。
先生にもわたし自身にも煩悩がある、というお言葉にはハッとしました。わたしがしてしまったことも煩悩ゆえだったのだと思います。そして、先生がお叱りの際にきつい言葉を使われたのも、煩悩ゆえかもしれません。
まだもやもやと気持ちの整理がつかない部分はありますが、煩悩を絶つことを心がけて、今後をじっくり考えたいと思います。
ありがとうございました。