努力せずに生きてきた私に喝をください
今年就職予定の大学生です。
大事な節目に努力をあまりせずに生きてきたことに負い目があることに、喝を入れて欲しいのです。
大学は一般受験ではなかったので、いい大学なのですが自分として達成感はなく、高学歴な知人をみると羨ましさがあります。恋愛も、初めてお付き合いした人ととんとん拍子にすすみ、年内に結婚予定。就職も、なんとなくの興味で応募した一社で採用されましたが、大手企業などではないので簡単な面接のみでした。
人生こんなものでいいのかなぁと思いつつも、内定先で卒業前にバイトしてみると、仕事内容としては自分に合っていたのですが、予想よりも待遇が悪く、人がどんどんやめてしまう環境でした。加えて、私の結婚予定のパートナーは貧しく育ち、精神的にも不安定なところがあり、奨学金などの関係で私がこれから数年は大黒柱として働かなければならない状況にあります。なので内定先はやはり断り、本来の最終目標であった、自分の両親が経営している会社に新卒で入ろうと考えています。もともと別の会社をみてから転職しようと考えていましたが、最低賃金の内定先より給料や待遇もよく、そもそも最終的にはと考えていたこともあり、パートナーを支えることを考えると、今できる最良の選択だと思っています。なのですが、この選択をするべきなのに、わかっているのに、決断ができずにいます。
そもそも就職活動にあまり力を入れておらず、内定先についてもリサーチ不足であった自分に納得がいっていないのだと思います。もしお金の心配がなければ内定先にそのまま納得して就職できたか?と問われれば頷いてしまう自分もおり、単にさまざまなことを理由に自分は逃げているだけではないのか?己の努力不足をなんとか正当化したいのだろうか?と答えの出ない自問自答を繰り返す日々です。
自分がどの選択をすべきかわかっているのに、努力不足な自分自身を認めるのが怖くてなかなか決断できずにいる私に喝をください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人は誰もが迷うもの。
仏教では、『迷い』は自分自身を苦悩を生み出してしまう「無明」ととらえます。
迷わないために、過去に努力が足らなかってことが自信をもって判断・決断力の不足が生じているだけです。また「お金があれば」ともありました。それは都合であり、今は今がすべてです。
とにかく努力は面倒と思うのが社会認知ですが、小さな努力を積み重ねることが"チリも積もれば山と成っていきます。」
努力は仏教では「精進」ととらえます。その努力をしていてと結果をみないことが肝要であり、努力にも正しい努力を行っていくことです。
今、迷いが生じているときの判断力というものは、自己利益を選択してしまうことに重点がいくものです。
ものごとの道理には、できる限りこのように捉えてみてはどうですか。
「損得で判断するのでなく、正しいか正しくないかで判断できる自分でありたい。」
と、思って今から言動を変えていくことで、変化が生じていきます。
自身の中に反省があれば、正しい選択をすることに躊躇しているだけであり、損得でなく正しい決断をしていくことを優先してください。
時が経過したとき、その時は正しい方を決断したことで、利益は少なかったけど、自身を大きくさせる利益としては、正しい選択を優先していくことが、必ずや人間として魅力ある人格を形成する良いキッカケと必ず成ります。
ことわざで「良薬は口に苦し」とありますように、「努力も苦いけども、継続した努力の実はとても甘い実となります。」
まだまだ何度もやり直せる環境下ですので、「急いては事を仕損じる」を念頭に新年より良い選択・決断をしていきましょう。
合掌