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父の死後ぽっかり空いた穴の埋め方

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有り難し有り難し 18

よろしくお願いいたします。先週、父を亡くしました。父は1年半前に母を亡くしてから、1人暮らしをしていました。89歳の父を1人にしておくのは心配だったので、私達の家で一緒に住もう、と何度も説得したのですが、迷惑かけたくないと私達のところには来る事はありませんでした。

父が亡くなった原因は階段から足を滑らせた事による頸髄損傷でした。ほぼ即死で苦しむ事がなかっただろう、と先生はおっしゃっていました。

なんとか無事に葬儀を済ませましたが、直前まで元気だった父の死が受け止められず、落ち着きを取り戻せずにいます。

心と体のバランスがうまくとれずにいます。自分達の家族のためにも、私が元気になる事が大切だとは分かっていますが、どうしたら自分を取り戻せるのかわかりません。

悲しみを乗り越えて前に進むにはどうしたら良いか、ご教示ください。よろしくお願いいたします。

2023年1月3日 20:14

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

父を尊勝することを念頭においていくこと。

この度は、御尊父様の哀悼の意を表します。
 同居を懇願されたにも関わらず御尊父様はお断りされました意志には、お父様の「美」であり、「父」であり、「やさしさ」であります。

 『親思う心に勝る親心』と、ことわざがありますように、娘様を思うお父様の親心は、計り知れないほどの思いやりです。
 「迷惑を掛けたくない。」というお言葉にすべての慈悲です。

 娘家族に迷惑や心配をかけてまで生きることより、自分らしく生きることを選択された御尊父様を尊勝を讃えることを念頭においていただけましたらと存じ上げます。

「人は死に様を選べないが、生き様は選ぶことができる」からなのです。

 わたしたち一人ひとりには、形成されていく心の中の最後の選択肢には、「自分らしく生きたい」に帰着します。
 お父様は父らしく、親らしく、自分らしく一人で生きていくことを選択されたことは、胸襟秀麗であるのです。

 大切な人を押し退けてまで生き様を選ぶ人より、娘様家族の幸せを願う心は、まさに仏様のような持ち主です。

 最期は残念な結末となりましたが、お父様の中では「これでよかったんだよ」という思いがあることを感じてください。

 マカロンさんは、素晴らしい世界一のお父様の子どもとして育てられ、高妙であるこの上なく立派な父を誇れることを胸に抱くことが、お父様の供養にもつながります。

 私たち僧侶は、葬儀を数多にお勤めしますが、故人さまの最期だけをみるのでなく、故人さまにも数えきれないほどに幸せであった瞬間はたくさんあることを汲み取ることが大切です。

 お父様の立派である生き様から、立派な意志をマカロンさんが引き継ぐ思いを持っていってもらえたら、それは宝であり、財産であり、お父様も仏国土から感謝をしてもらえることにつながります。

仏教では「盛者必衰、会者定離」とあり、生きるものはいずれ衰退もしていき、会う者はいつかは離れなければならない使命が誰にもあるからこそ、一期一会を重んじ、マカロンがこの世に生誕された時から、命懸けで、娘様と御母堂さまの幸せだけに専念された人生は、この上なく素晴らしいです。

「お父さまは立派であった。ありがとう」
そして、これからも供養をし続けていく中でお父様の胸襟秀麗を痛感した時が到来したとき、はじめて涙が本心を慰めるお父さまからの意思を感じ取ることができます。

合掌

2023年1月5日 4:03
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有り難し
おきもち


祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。父が身を持って生き方を示してくれたんですね。そんな父の娘で幸せです。心が落ち着きました。ありがとうございました。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

亡くなった母を思い出して悲しい

私が28歳の頃、母が半年ほど自宅で闘病した後、ガンで亡くなり、私は自分が自立していなかったこともあり、悲しいのと同時に、とても不安でした。 当時は、人間的にも他にはいないような、やさしい母、私のせいで、私がもっと何かできたのではないかということばかり考えていました。 ここ何年か、さも私や家族が悪いように言いながら、わがままを言ったり、私のためを思っているようで、ただ感情をぶつけていたのではないかと思えるような、母のみっともない面、いやな面を思い出すようになりました。 なにか遅れてきた反抗期のようでもありますし、母親を悪く言う、ひどいことを言うほど私は堕したのかなとも思えます。 母が死んだ年は、うつ状態になり、その後人生で起こることも悪いことが多く、今も引きずっているようなところもあります。 私の現状はいいとは言えず、そういったことも母を思い出すことと関係があるのかなとも思えます。ただ、直接には存じ上げませんが、幸運に恵まれなくても、不幸続きでも、良く生きている人はいるのだろうから、そういうことは理由にはならないのかなとも思います。 母が亡くなって10年以上経ちますが、今も悲しく、さびしいです。つらいです。人並み以上に母がみじめな思いをしたように思えたり、私自身もひどくみじめに思え、母と、なんというか、心のつながりがないように思えます。一方で、以前よりも痛切にさびしさを感じるようになりました。私の人間関係が母しかなかったこともあると思います。母の死が過去のことになっていきません。苦しいです。 なにかの本で読んだように、母のことを思い出し、自分は大丈夫と思えるようになりたいと思うのは、欲でしょうか。 どうして母のいやなことばかり思い出してしまうのでしょうか。 なにかお言葉をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 24
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大切な物を失って生きる気力がありません

久しぶりにご相談させて頂きます。つい最近、子供の頃家族で米国に滞在していた時に父から買ってもらったペンダントがなくなっているのに気がつきました。 私にとって今は亡き父からの愛情の証であり、まだ両親が元気で家族が幸せだった頃の象徴で、35年間ずっと大切にしまってきたものでした。 思い当たるのは、ずっとしまっているだけでは勿体ないからと使うことにして、半年前に友人とのランチに着けていきました。夏だったので、おそらく帰って外した時に汗を流すため水洗いし、ティッシュの上で乾かしていたと思います。それを(ティッシュで半分隠れる形になっていたのか)誤って捨ててしまったようです。 可能性のあるところは家中全て探し、警察やお店、マンションの管理室にも問い合わせましたが、落とし物の届出はなかったので、本当に捨ててしまったとしか考えられません。 父からの大切な贈り物、長年心の支えにしていたものを愚かにも自らの手で捨ててしまい、茫然自失の状態です。家族がいなければ、どこかに身を投げてしまいたいくらい辛いです。 家事や子育てがあるのであまり落ち込んだ顔も見せられず、なんとか日々を送っていますが、ふと思い出しては苦しくてたまらなくなります。 自分の不注意への腹立たしさ、情けなさ、後悔、父への申し訳なさ…。全て自業自得なのですが、もう二度とあのペンダントを取り戻せないことがつらくて悲しくてたまりません。 こんな親不孝で愚かな私でも、子供達のことを思うと今死ぬわけにはいかないのですが、この先どのように気持ちを立て直して生きていけば良いのでしょうか。また心の支えにしていたものを失った喪失感を、どのように埋めていけばよいのでしょうか。

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子供が亡くなって、節目の迎え方

以前にご相談して、あたたかいお言葉を住職様から頂きました。ありがとうございました。 子供が16歳で自分から命を放りだしてから、四年をむかえます。 誕生日や、法要、命日、節目を迎えてきました。 この四年間は子の死に正面から向き合えませんでした。自分が落ち込むと、家の中が不穏不安定になり、家族が更に落ちていくことを経験しましたので、 なるべく普段通りにすることを心がけ、自分の気持ちを優先せずに亡くなった子供のことは少し距離を置きながら 四年間を生きてきました。家では笑顔で過ごすことや仕事も明るくやってきましたが、それが他人には奇妙に見えたようで、それを陰口や直に言われることもありました。それでも他人には関係ないと割りきってきました。 ただ節目に節目になると、どうにも涙が出て心がコントロールができず。 子供の友達がお墓参りや自宅によく手を合わせにきてくれるのですが、最初はとても有り難かったのですが、それが時と共にとても辛くなってきたのです。 今度成人式があり、もし子供の同級生が来ることがあったら、手を合わせに来てくれてありがとうと感謝しますが、 心が耐えられるかわかりません。 私は本当に自分勝手で酷い親だと思います。有り難いと思う気持ちよりも、同級生の中に子供がいない寂しさで、どうしても受け入れられずにいます。 月日が経てば経つほど、この気持ちが強くなってきたので、自分の中でどうしたらよいのか、わからなくなってきました。 御住職様は、どのようにお考えになりますでしょうか。乱文で申し訳ありません。

有り難し有り難し 24
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何を励みに生きていけばいいのか

初めまして 4ヶ月前に夫を亡くしました 夫はとても優しく、おだやかな人でした 私達夫婦には子供は授からなっかったので私、一人でこれから何を励みに生きていけばいいのか・・・ 夫の闘病中余りの辛さを見ているのが辛く夫に「その痛み、苦しみ私によこして」と言って二人で号泣しました 夫はこんな辛いのは私にさせたくと・・・ 毎日寂しく4ヶ月たったいまでも涙が出てとまりません 骨堂に行き夫に話かけてくるのですが永代の骨堂なので他の方に迷惑かと思いながら話をして帰って来ます 夫から言葉は返ってきませんが・・・ これから一人で何を励みに生きていくといいのかわかりません 夫の元へ行きたいと思ったりします 生前夫に、夫と一緒に逝きたいと言ったことがあり、「そんな事言わないでと、俺の分まで生きてくれたらそれが俺の幸せ」と言って号泣しました ですが夫がいなくなってから何もする気がおきず、ただ夫の遺影を見て涙流している毎日です 夫は逝ってしまう時私の事どう思いながらだったのか知りたい気持ちでいっぱいです 生きていくのがこんな辛いとはと思って何のために生きてるのだろうかと思っております お願いします

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大好きな祖母が亡くなった

今年の6月、大好きな祖母を亡くしました。 祖母は祖父と一緒に2人で暮らしていて、年始や休みの日に遊びに行ったりしていました。とても優しくていつもニコニコしてる人でした。 今年の5月に家族みんなコロナになってしまい、心配の電話が祖母からきました。それで『コロナが治ったらまた美味しいものたべにいこうね』っていう電話でした。 その数週間後に祖母が救急車で運ばれたと祖父から連絡がきました。 その数日後、祖父と母が先生に呼ばれ、すい臓がんのステージ4であることと余命は半年もないということを告げられました。 告げられたあと、祖父に『ずっと俺がそばにいたのに気づけなくてごめんな、〇〇と一緒に居られる時間を短くしてごめんな』と泣きながらいわれました。祖父はめったに泣かないので悔しかったのと悲しかった気持ちで苦しかったです。 コロナ禍なので面会もできませんでした。ですが1ヶ月後大部屋から個室に移されたから面会できると病院から連絡がきて、祖母と話せるって思って病院にいったら変わり果てた姿の祖母がいました。ずっと苦しそうな呼吸で酸素呼吸器もつけてられていて会話もできる状態じゃなくて目も濁っていて、元気な姿で会ったのが今年のお正月だったので半年でこんなに変わり果ててしまうのかというショックがありました。それとああ祖母はもうすぐ死ぬんだなと思いました。会話はできなかったけどひたすら祖母に話しかけて感謝の気持ちを伝えました。 その1週間後に祖母は亡くなりました。余命宣告されてから1ヶ月でした。死に目にも会えませんでした。 祖母とは葬儀場の霊安室みたいなところで会いました。眠っているようで声をかけたら起きあがりそうなのに体は冷たかったです。 祖母が亡くなってから半年たちますが未だに祖母の事を考えると涙が止まらないし、苦しくてたまらないです。会いたいと思ってしまいます。私はずっと祖母に心配ばかりかけていたので祖母に申し訳なくてたまらないです。 身近な人が亡くなったのは初めてだったので祖母が亡くなってこの有様なのにこのあと父母を看取るのかと思うと怖いです。 あと1週間で今年が終わりますが、今年が終わらないでほしいとも思います。今年が終わってしまったら祖母がいたという証がなくなってしまいそうで。 どうすれば前を向いていけますか? 思うままにかいたのでで長くて読みづらいと思いますすみません。

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祖母の死

昨日大好きな祖母が96歳で亡くなりました。祖母は施設に入居しておりました。私は旦那の仕事の都合で遠方に住んでおり、昨日の夕方危ない状態と言われた時に私以外の家族は会いに行きましたが、私は会いに行けませんでした。その夜亡くなって、母からは亡くなってから夕方会いに行ったことと亡くなったことを聞かされました。両親も大変な状況だったと思うので、私に後からの報告になったことはしょうがないと思います。ただ、私だけ祖母に何も言うことができないままお別れとなってしまったことの後悔があります。それと同時に遠方にいるためまだ死を実感できず言葉で表せられない感覚になっており、明日帰省して祖母の顔を見るのがこわいです。死を受け入れなきゃいけないのがこわいです。 コロナになってまともに面会もできない中、2週間前にたまたま友人の結婚式で帰省した際に祖母とリモートで面会をしました。半年前にリモート面会した際は私を理解して会話もできていましたが、この時は首を振る反応はありましたが祖母は一言も言葉を発しませんでした。年齢も年齢なので覚悟はしていたので、悲しかったですがしょうがないと思っていたので次会いにきた時に会話できたらいいなくらいの軽い気持ちでバイバイしてしまいました。もっと話せば良かったのにこれが最後になると思わず、生きているうちに後悔しないようにと思っていましたが結局後悔するかたちになりました。 高齢になって体の色々なところが痛いと訴えることが多くなり、施設入居中もコロナになったり骨折したり色々苦しい思いをしていたようで早く死にたいと言っていたと聞き、痛みから解放されて天国で楽しく幸せに暮らして欲しいと思っています。 心からそう思うのですが、死を受け入れたくない自分もいて祖母にお別れを言うのがつらいです。生きているうちに感謝を伝えれなかったことや祖母の近くにいれなかったことで大好きな祖母への気持ちが全否定となってる気がしてつらいです。亡くなった後でも感謝は伝わりますか。天国で聞いていてくれますかね。 まとまりのない文章ですみません。ただ誰にも言えないこの気持ちを聞いて欲しくて書き込んでしまいました。

有り難し有り難し 4
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ