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父の死後ぽっかり空いた穴の埋め方

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よろしくお願いいたします。先週、父を亡くしました。父は1年半前に母を亡くしてから、1人暮らしをしていました。89歳の父を1人にしておくのは心配だったので、私達の家で一緒に住もう、と何度も説得したのですが、迷惑かけたくないと私達のところには来る事はありませんでした。

父が亡くなった原因は階段から足を滑らせた事による頸髄損傷でした。ほぼ即死で苦しむ事がなかっただろう、と先生はおっしゃっていました。

なんとか無事に葬儀を済ませましたが、直前まで元気だった父の死が受け止められず、落ち着きを取り戻せずにいます。

心と体のバランスがうまくとれずにいます。自分達の家族のためにも、私が元気になる事が大切だとは分かっていますが、どうしたら自分を取り戻せるのかわかりません。

悲しみを乗り越えて前に進むにはどうしたら良いか、ご教示ください。よろしくお願いいたします。

2023年1月3日 20:14

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

父を尊勝することを念頭においていくこと。

この度は、御尊父様の哀悼の意を表します。
 同居を懇願されたにも関わらず御尊父様はお断りされました意志には、お父様の「美」であり、「父」であり、「やさしさ」であります。

 『親思う心に勝る親心』と、ことわざがありますように、娘様を思うお父様の親心は、計り知れないほどの思いやりです。
 「迷惑を掛けたくない。」というお言葉にすべての慈悲です。

 娘家族に迷惑や心配をかけてまで生きることより、自分らしく生きることを選択された御尊父様を尊勝を讃えることを念頭においていただけましたらと存じ上げます。

「人は死に様を選べないが、生き様は選ぶことができる」からなのです。

 わたしたち一人ひとりには、形成されていく心の中の最後の選択肢には、「自分らしく生きたい」に帰着します。
 お父様は父らしく、親らしく、自分らしく一人で生きていくことを選択されたことは、胸襟秀麗であるのです。

 大切な人を押し退けてまで生き様を選ぶ人より、娘様家族の幸せを願う心は、まさに仏様のような持ち主です。

 最期は残念な結末となりましたが、お父様の中では「これでよかったんだよ」という思いがあることを感じてください。

 マカロンさんは、素晴らしい世界一のお父様の子どもとして育てられ、高妙であるこの上なく立派な父を誇れることを胸に抱くことが、お父様の供養にもつながります。

 私たち僧侶は、葬儀を数多にお勤めしますが、故人さまの最期だけをみるのでなく、故人さまにも数えきれないほどに幸せであった瞬間はたくさんあることを汲み取ることが大切です。

 お父様の立派である生き様から、立派な意志をマカロンさんが引き継ぐ思いを持っていってもらえたら、それは宝であり、財産であり、お父様も仏国土から感謝をしてもらえることにつながります。

仏教では「盛者必衰、会者定離」とあり、生きるものはいずれ衰退もしていき、会う者はいつかは離れなければならない使命が誰にもあるからこそ、一期一会を重んじ、マカロンがこの世に生誕された時から、命懸けで、娘様と御母堂さまの幸せだけに専念された人生は、この上なく素晴らしいです。

「お父さまは立派であった。ありがとう」
そして、これからも供養をし続けていく中でお父様の胸襟秀麗を痛感した時が到来したとき、はじめて涙が本心を慰めるお父さまからの意思を感じ取ることができます。

合掌

2023年1月5日 4:03
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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。父が身を持って生き方を示してくれたんですね。そんな父の娘で幸せです。心が落ち着きました。ありがとうございました。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

まだ立ち直れてない

先日、母の四十九日を終えました。お経をあげてもらって、お位牌に魂を移してもらいました。 それから母の好きだったお饅頭型のロウソクを供えてみたり、母が好きだった香りのお線香をあげてみたり、色々していますが私の気分はまだまだ落ち着いていません。 お医者様にも「まだリラックスできる状況にないみたいだから無理しないように」と言われてしまいました。確かに眠りが浅い気がします。 でも私は元気に働けていないといけないのです。父は私が働ける状態かどうかくらいにしか興味がありません(多分私がどれ程落ち込んでるかには興味が無い)(後ろから着いてきただけの末娘なのでまあそんなものです)。職場からしてもなるべく出勤してもらわないと困るはずです。私は早く元気にならないといけない……と思いながら、周りに「無理はしないで」と言われ続けています。 体調がどうしても悪い時に休んでしまっているので、それほど無理をしているつもりはないのですが、周りからするとそうではないようです。 些細なことでも「母との思い出が沢山あったな」と涙を浮かべてしまうような状態ですが、みんなのために私は早く元気にならないといけません。 リラックスする良い方法などはあるでしょうか?

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母を亡くした父へのサポートについて

今年6月に母が急死してしまい、一人暮らしになる父のサポートの事で助言をお願いします。 私は次女で長女は危篤の病院にも葬儀にも姿を見せませんでした。 長期に母を利用し裏切っていました。 私と母の関係は良好で母が行きたい所はどこでも連れて行き旅行も毎年一緒に行っていました。 私はシングルマザーで長男長女次男がいます。 私の父親は長男が生後半年で離婚しています。 長女と次男はその事を知りません。 長男は私を毛嫌いし10年会っていませんでしたか、母の入院中に再会し7年前に結婚した長男の嫁ともその時初めて会いました。 長男は私の両親を親のように思い、母も長男夫婦に『親と思って良い』と言ったそうですが私は知りませんでした。 嫁と親しくしてる事も聞いた事はありません。 長男は私の戸籍から除籍し父の姓を名乗っていて、嫁は除籍したので私の方とは何の関係もないんです と言いました。 父の養子にもなっていません。 母が亡くなり父が一人暮らしになるので長男の命令で独身の次男が父と同居し、今は娘の協力もあり私が仕事が終わってから毎日夕飯作りに行っています。 私不在時は長男の嫁が一日中父の側にいて我が物顔で実家にいます。 私は父の出来る事は父がする方が良いと思うし、出来ない事も努力して欲しいと思っていますが、長男夫婦は考えが違います。 長男夫婦の実家への関わり方の距離感があまりにも不自然で納得が行きませんが、私が聞くと長男はキレるので話もできません。 病院の清算や葬儀の事お香典、全て嫁がやりました。 私がやるべきと言っても夫婦で仕切りました。 そんな様子を知っても父は誰かがやればいい。 子供も孫も一緒だし関係ない。 仕切る長男が頼りになるけど大人しく優しい次男は頼りにならないと思うらしく次男にキツくあたります。 例えば次男と父が食事をしていて父の食べるペースを見て次男は食べるペースを調整して父より後に食べ終わるのを『さっさと食べろ!』と言う具合です。 20代と89歳では寝る時間も違って当たり前だと思うけど『いつまでも起きてる』と文句を言う。 俺の家だから俺のルールに従ってもらう!と言う。 生活費も父のお金が減らないように次男が負担するよう長男が指示してます。 長男経営の会社で次男も働いているので長男には逆らわないです。 仕事も次男に任せてます。 私が父と住むべきですが父は何もしなくなると。

有り難し有り難し 3
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何年も前に亡くなった人の事で泣いてしまう

何年も前に亡くなった、おじいちゃん(16年前)おばあちゃん(4年前)の事を思い出しては未だに泣いてしまいます。 母とは関係が悪くほぼ縁が切れている感じですが、母方のおじいちゃんとおばあちゃんが大好きでした。遠方でお盆くらいしか会えませんでしたが、私の事をとても可愛がってくれました。 母は私の事を邪険に扱いましたが、おばあちゃんは会うといつも 「◯◯ちゃんはパパに似て白くてスタイルがよくてお人形さんみたいでかわいいね。パパに似てよかったね」と褒めちぎってくれました。それに対して母はいつも「スタイルよくないよ、世間一般じゃそうでもないから」と返してましたがおばあちゃんは「いや、いいよ可愛いよ」と肯定してくれました。 簡単に言ってしまえばおばあちゃんは、私の敵である母を否定して、私を絶対的に肯定してくれた絶大な味方でした。 ここまで読んでいただいてなんとなく分かったかもしれませんが、私が母を毒親と思っているのと同様に、母はおばあちゃんを毒親と思っていたようです。だからこそおばあちゃんは母を否定して私の味方をしてくれたのかもしれません。 辛いですが、私の親族は色々と問題があり、関係が切れたりもつれたりしていて、お盆に集まってお墓参りなどはありません。でも私は未だにおじいちゃんおばあちゃんがとても恋しく、長期休みには1人でおじいちゃんおばあちゃんと過ごした町に来ます。今もお盆でホテルをとって来ています。 亡くなって何年も経っているのに、突然思い出して泣いてしまうこともあります。もちろん今みたいに一緒に過ごした町に来ると涙が止まりません。まるで昨日亡くなったかのように。亡くなった人のことを普通に懐かしんで話す、ということが未だにできません。涙が止まらなくなります。 私はまだ乗り越えられていないんでしょうか。思い出して泣くのではなく、おじいちゃんおばあちゃん大好きだったなぁと笑っていたいです。人の死を乗り越えるというのはこんなに時間が経ってもできないものなのでしょうか。

有り難し有り難し 20
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母の死から立ち直れない

いつもありがとうございます。 先日、母が闘病の末亡くなりました。乳癌でした。享年67歳でした。 母はかなりの病院嫌いで、乳房が腫れ始めても頑なに診てもらおうとしない人でした。結果、癌の型が悪かったのもあって、治すということができないところまでいってしまっていました。 段々できることが減っていって、階段が登れなくなって、歩けなくなって、寝返りもできなくなって、喋ることもできなくなって、ゆっくり呼吸が止まっていくのを家族一同で介護しながら見届けました。後悔が無いと言えば嘘ですが、やれることはやり切ったと思っています。 お葬式あたりではバタバタしていて、涙は出てもなんとなくふわふわした落ち着かない気持ちでいたのですが、数週間経った頃から体調不良を繰り返すようになってしまいました。 頭痛薬を処方されたら母が飲んでいたものと同じ薬で涙が出たり、銭湯で話しかけてくれた人が母と同じくらいの年頃で涙が出たり、そんなことの繰り返しです。 医師には「段々とそういう症状も薄れていくから大丈夫」と言われましたが、現状家族にも職場にも迷惑をかけてばかりで申し訳ないです。一刻も早く立ち直れないといけない気がしています。母も私が不甲斐なくて心配していると思います。 四十九日が過ぎたら落ち着いてくるものでしょうか?それとも私がもっと努力すべきでしょうか? よろしくお願いします。

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毎年立て続けに親戚が亡くなります。

夫と結婚してから毎年立て続けに家族が亡くなります。 1年目は私の母方の祖父で喪が明けて直ぐの2年目に私の父方の祖父が亡くなりました。 3年目は、夫の母方の曽祖父が亡くなり、その4ヶ月後の先月末に夫の父がなくなりました。 今日お通夜です。 夫の父は離婚していましたが、息子である夫との関係は良好で2人で呑みに行ったり電話したりしていました。 夫は思い出は無いとは言いつつも、精神的に疲れが出ているようでご飯もあまり食べられないようです。 また、夫の父は亡くなり方が普通とは違ったようで、お顔すら見ることが出来ません。 今までは病死や老衰でしたので、顔を見て故人を偲ぶことが出来ましたが、それも叶いません。 夫の父が亡くなった事がショックです。 1度しか会うことは出来ませんでしたが、電話でも私のことを気にかけてくれる方でした。 そして、何故毎年立て続けに家族や親戚が亡くなるのか。 不思議でもありますし、心が疲れてしまいます。 また、毎年立て続けに亡くなることで何か悪いことがあるのか心配になります。 私達は、何か悪いものを持って行ってくれているのでは?と話していますが、皆さんのお考えを伺いたいです。 よろしくお願いします。 追記 義父は孤独死だった様です。 時期が時期ですから、発見された時には……という状態だった様です。 司法解剖もしたものの死因も分からずじまいでした。 夫の事が心配です。また、私の直系の家族では無いにしろ、感情移入してしまったのかとても気持ちがしんどいです。 義父が苦しまずに逝けていたらいいのですが…… 亡くなった方ですが、義父が心配です。 合わせて回答して頂ければ嬉しいです。

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一人娘を亡くして生きるのが辛い

7か月ほど前に9歳10か月の一人娘を1年弱の闘病と、3か月の在宅の後に見送りました 直後は布団をかぶったまま動けませんでしたが、『分かち合いの会』を調べては数か所行きました。ほとんどの遺族会はパートナーや親御さんを亡くした方が大半で、子どもの場合は乳幼児や自死が多く、病気で子どもを亡くした親はとても稀でした。その中でも2か所ほどは同じ境遇の親の会なので、今でも参加しています。 年明けからは小学生に勉強を教える団体や、ご縁のあった遺族会でボランティア活動を細々としていました。 しかしこの1ー2か月は直後のように動けなくなりました。日中は『普通の世界』の気配がするだけで落ち込むのでずっと寝ています。昼夜逆転です グリーフの本などによると、喪失を受け入れる段階に来るとひきこもる傾向がある、とのことなので、その状態なのだろうと思います。 娘はもうこの世にいない、死ぬまでその肉体とは会えないことは理解しています。病気になったことは単なる偶発的なことで、稀ではあるけれども誰にでも起こりえること。誰のせいでもないとは思いますが、やはり自分が産んだ子ですから、健康な体で産んであげられなかったことは今でも申し訳なく思います。 生きる意味、は考えていません。私の考えでは、人は生まれて死ぬ。それだけの事。生まれ落ちた場所を嘆いても仕方がない。草花の種が風に乗って飛び、たまたま落ちた環境が良ければ成長するし、良くなければ枯れる。それと同じ、と考えてはいます。 しかし、娘のいない時間があまりにも辛すぎて、生きるのに疲れました。 私には高齢の実父がいます。娘が産まれたときから同居しており、娘は『じいちゃん』が大好きでした。たった一人の孫を亡くした父の面倒は見なければならないと思っています。父を悲しませるわけにはいきませんから。 ただ、もう疲れてしまいました。母を介護し、看取り、やっと娘だけに時間を使えると思った矢先に発病し、闘病中は付き添いをして、その甲斐なく娘を見送ることになり、父を見送れば私は一人になります。 私も娘もただただ普通に暮らしたかっただけなのに。 今の私には、父を看取ること、私と娘二人の永代供養の場所を決めること、その2つしか生きる目的はありません。が、その目的を果たさなければ、と思う事さえ辛い毎日です。 どのような心構えで日々を送ればよいかご教示ください

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ