父の死後ぽっかり空いた穴の埋め方
よろしくお願いいたします。先週、父を亡くしました。父は1年半前に母を亡くしてから、1人暮らしをしていました。89歳の父を1人にしておくのは心配だったので、私達の家で一緒に住もう、と何度も説得したのですが、迷惑かけたくないと私達のところには来る事はありませんでした。
父が亡くなった原因は階段から足を滑らせた事による頸髄損傷でした。ほぼ即死で苦しむ事がなかっただろう、と先生はおっしゃっていました。
なんとか無事に葬儀を済ませましたが、直前まで元気だった父の死が受け止められず、落ち着きを取り戻せずにいます。
心と体のバランスがうまくとれずにいます。自分達の家族のためにも、私が元気になる事が大切だとは分かっていますが、どうしたら自分を取り戻せるのかわかりません。
悲しみを乗り越えて前に進むにはどうしたら良いか、ご教示ください。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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父を尊勝することを念頭においていくこと。
この度は、御尊父様の哀悼の意を表します。
同居を懇願されたにも関わらず御尊父様はお断りされました意志には、お父様の「美」であり、「父」であり、「やさしさ」であります。
『親思う心に勝る親心』と、ことわざがありますように、娘様を思うお父様の親心は、計り知れないほどの思いやりです。
「迷惑を掛けたくない。」というお言葉にすべての慈悲です。
娘家族に迷惑や心配をかけてまで生きることより、自分らしく生きることを選択された御尊父様を尊勝を讃えることを念頭においていただけましたらと存じ上げます。
「人は死に様を選べないが、生き様は選ぶことができる」からなのです。
わたしたち一人ひとりには、形成されていく心の中の最後の選択肢には、「自分らしく生きたい」に帰着します。
お父様は父らしく、親らしく、自分らしく一人で生きていくことを選択されたことは、胸襟秀麗であるのです。
大切な人を押し退けてまで生き様を選ぶ人より、娘様家族の幸せを願う心は、まさに仏様のような持ち主です。
最期は残念な結末となりましたが、お父様の中では「これでよかったんだよ」という思いがあることを感じてください。
マカロンさんは、素晴らしい世界一のお父様の子どもとして育てられ、高妙であるこの上なく立派な父を誇れることを胸に抱くことが、お父様の供養にもつながります。
私たち僧侶は、葬儀を数多にお勤めしますが、故人さまの最期だけをみるのでなく、故人さまにも数えきれないほどに幸せであった瞬間はたくさんあることを汲み取ることが大切です。
お父様の立派である生き様から、立派な意志をマカロンさんが引き継ぐ思いを持っていってもらえたら、それは宝であり、財産であり、お父様も仏国土から感謝をしてもらえることにつながります。
仏教では「盛者必衰、会者定離」とあり、生きるものはいずれ衰退もしていき、会う者はいつかは離れなければならない使命が誰にもあるからこそ、一期一会を重んじ、マカロンがこの世に生誕された時から、命懸けで、娘様と御母堂さまの幸せだけに専念された人生は、この上なく素晴らしいです。
「お父さまは立派であった。ありがとう」
そして、これからも供養をし続けていく中でお父様の胸襟秀麗を痛感した時が到来したとき、はじめて涙が本心を慰めるお父さまからの意思を感じ取ることができます。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。父が身を持って生き方を示してくれたんですね。そんな父の娘で幸せです。心が落ち着きました。ありがとうございました。