自己嫌悪や不安でいっぱいな時の考え方
過去の自分、今の自分に自己嫌悪が止まりません。
急に思い出して後悔や不安で心が苦しくなります。
また、最近自分のしていた行動も良くなかったかもしれないと思ってショックです。
過去や今の自分に対して自己嫌悪することがよくあり、フラッシュバックして不安になることもあります。
最近まで不安な事はなるべく考えないようにできていたのに、突然思い出してから不安でいっぱいです。
自分はすごく嫌な人間なのではないか、と怖くなることもありますが、今後気を付けていけば大丈夫でしょうか?
今後は気を付けていたら、嫌な人間だったとしても、救いようのない人間だとしても生きていいのでしょうか
自己嫌悪してしまったり、不安になってしまう時はどのように考えたら良いですか?
自分をどのように許せばいいのかわかりません。自分なんて許しては駄目なのでしょうか。
お忙しいなか目を通してくださりありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
脳の仕組みを理解する事
拝
私達の脳は放っておけばいつも不安に支配されるか
欲に支配されるかです
不安を感じなければ
生き物として危険を回避し
生き残る事ができません
欲が無ければ
今日の食べ物を得ることすらできません
ところが自然界を離れた人だけの生活を始めた時から
この機能は正常に働かなくなり
私達の人生は
まるでアクセルとブレーキしかない自動運転の車のようになってしまっています
安全装置は過剰に悪い出来事を思い出させ
悩みという形で己を攻撃してしまいます
欲は過分に得ることを求めはじめ
更に不安を渇望を掻き立てる
そう
私達の脳はそもそも
この現代社会を生きるために作られていないのです
自動運転の車に任せていればとんでもないところに連れて行かれる
ブッダはそこから離れるために己の観察と理性と論理を養う事や
禅や善行など正しい行いを積む事を説いているのです
こうして私にもあなたにも
初めてハンドルが備わるわけですね
子供の頃は悪いことしても気にもなりませんが
大人になるに従って危険回避の機能や記憶の力は高くなります
つまり今のような苦しみに陥りやすくなる
この性質をよく理解し
悩みが浮かんだ時
本当に改めて考える価値のある事か己にちゃんと問いてみてください
これは思考の基礎訓練です
生きるとはそれだけで価値があるものです
人間であるとは稀なことで
それだけでたくさんの徳を積むチャンスがあります
徳を積めば
生きている全てのものに寄与できる社会的価値が生まれます
大丈夫自分をコントロールする事を覚えれば
世界の見え方は変わってきます
これは日頃の精進次第です
合掌
質問者からのお礼
丸山 晃俊さん
生きるだけで、人間であるだけでたくさんの徳を積むチャンスがあるという考え方が素敵だと思いました。
今まで一度もそんな風に考えたことはありませんでした。
過去のどうしようもないことなどで不安になる時は、その分だけ徳を積むチャンスが与えられていると考えてみようと思います。
少しずつ自分にできることを探してみます。本当にありがとうございます。