愛犬の死とどう向き合えば良いのか
愛犬が亡くなりました。
もうすぐ16歳だから盛大に祝おう、ケーキでも買おうかなんて話してた矢先に、突然ごはん食べなくなって、次の日には動けなくなってそのまま逝ってしまいました。
小型犬でしたし、平均寿命から考えて老衰と言えます。仕方ないことだと、頭は理解しています。でも、心が追いつきません。
ほんの数日前まで歩いていたし、ご飯もちゃんと食べていたんです。それが、ほんの3日で突然いなくなってしまいました。
私の人生の半分以上、寄り添ってくれた子でした。小さくて可愛くて、ちょっとだけわがままだったけど、本当に良い子でした。
もういない、抱きしめられない、撫でてあげられない、と思うと悲しくて寂しくて、泣き暮らしています。もっとああしてやればよかったとか、たくさんの後悔もあります。同じくらい、あの子との幸せな思い出もたくさんあります。でもつらいです。
人は忘れる生き物だと言いますが、この愛も悲しみも思い出もいつか忘れてしまうのかと、そう考えるのも哀しくなります。
愛犬の死とどう向き合えば良いのか、あの子への愛をどうすれば良いのか、忘れるべきなのか、死を受け入れて諦めるべきなのか、自分の気持がぐちゃぐちゃで、どうして良いかわかりません。
助けてください
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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心の中で生きています。
私は浄土真宗の僧侶です。私も愛犬の死を経験しています。ワンコは飼うと家族そのものですね。あなたのお気持ちが痛いほど伝わります。もういない、抱きしめられない、撫でてあげられない、と思うと悲しくて寂しくて泣き暮らしているとのこと、よく判ります。
しかし、仏教では諸行無常を説きます。この世のものごとはひと時としてとどまる事はなく時間と共に常に変化して行くと言う真実を顕す言葉です。
私たちの命も明日になれば1日年を取ります。おっしゃる通りあなたの愛犬は16才ならば高齢です。いつか死が訪れるのは仕方ない事です。厳しいと思いますがこれは真実として受け止めていかねばなりません。
しかし、あなたの愛犬はあなたの心の中で生き続けます。私もそうです、私の愛犬も私の中で良い思い出として、あの時はこんなしぐさをした、あの時はこんなに甘えた、そう言う一つ一つの思い出が頭をよぎります。
人は二度亡くなると言う言葉があります。それは実際に亡くなった時と、その人のことを誰もが忘れてしまった時を二度目と数えるということです。
ですから人に限らずあなたの愛犬はあなたが生きている限りあなたの中で生きているのです。そして、悲しみはやがて薄れて行きますが可愛がった思い出はずっとあなたの心に残るのです。そう思い続けることにあなたの愛犬もきっと喜んでいます。
無量寿経と言うお経にはワンコも成仏すると説かれています。ですからあなたの愛犬は文字通り仏様となってあなたをずっと見守ってくださるのです。
どうぞ、愛犬との幸せな日々を思い大切なワンコに手を合わせてあげて下さい。
合掌
質問者からのお礼
宮本様
ご回答ありがとうございます。
私が生きている限り、私の心の中で愛犬も生き続けるという言葉に救われました。無理に忘れようとしなくても良いのですね
日々、あのこの可愛いところ、困ったところ、あの子と見た景色を胸に抱いて、あの子と共にこれからも生きていきます。