過去の過ちと今後の生き方について
私は2022年10月中旬あたりから体調不良で学校を休んでいます。今はもう元気なのですが、心が不調のため不登校です。
12月下旬から1月20日あたりにかけて過去の過ちを思い出しました。思い出した過ちの数に比例して、罪悪感は重くなっていきました。
私は下記のことについて罪悪感を感じています。小学生の頃の話が多いです。
・悪口を言ってしまった事。
・傷つける事を言ってしまった事。
・小学生の頃に友達のものを盗んでしまった事。
・ルール違反をしてしまった事。
・違法にアップロードされた動画や漫画などを、違法と知らずに見てしまっていた事。
・小さい生き物を殺してしまった事。
・トカゲをストーブで炙っていじめてしまった事。
・兄の洗顔料を勝手に使ってしまった事。
・コンセントを抜こうとして、父の金属製の定規を指して定規を焦がしてしまった事。
(まだまだたくさんあります。)
積み重なった罪悪感で眠れない日や、何もできない日もありました。死ぬ事も考えました。
そのような事があったためか、私が覚えてないだけで、実は過去にいじめや万引きなどの犯罪を犯していたのではないかという考えが離れませんでした。
私はいじめをしていたと思い込んで被害者に謝ったら、そのような事実は無いと言われました。いつか警察署に出頭してしまいそうです。
一度は孔子さんの「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」という言葉でけじめを付けたつもりでしたが、引きずってしまいます。
14年生きてきた中で一番辛い2ヶ月です。
たくさんの過ちを犯した私はより社会に貢献すべきだと考え、アメリカで心臓外科医になる事を目指して勉強しています。
手術で人を救い、そうして得たお金でまた人を救いたいという考えです。退職した後も、ボランティアをするつもりです。この夢は絶対に叶えると誓い、計画も立てています。
しかし、それをしたとして私の過去は消えません。奪われた命は返ってきません。私の自己満足です。
私は一生罪悪感を抱えて苦しんで生きていくべきでしょうか。
それとも、過去は過去と割り切って幸せに生きるべきでしょうか。
どちらも間違いでしょうか。
初めてハスノハを利用するので、分かりづらいところや間違っているところがあったらすみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご質問ありがとうございます。
過ちは誰にでもあります。
大切なことは同じ過ちをこれから繰り返さないことです。
それが成長なのです。
お釈迦様の教えでもあります。
ですから過去のことを反省したなら、これから同じ過ちを繰り返さないようにしましょうね。
それが一番の償いです。
過去を振り返るだけではなく、目の前にあるあなたがやりたいこと、あなたが進みたい道をしっかり見て一歩一歩前に歩んでくださいね。
もし学校でいじめられるなど問題があるなら不登校のままでもいいのですが、進学するなら内申点に関係するので勉強は独学か塾などで進めて、担任やスクールカウンセラーに相談して保健室で定期テストだけは受けましょうね。
どんな時もあなたに希望がありますように。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。気持ちが軽くなりました。自分の道をしっかり歩きます。
本当にありがとうございました。