人との関わり方がわからない
「こういうことを言ったら失礼にあたる」という感覚がズレているのか、よく人との会話で気まずくなったり怒らせたりしてしまいます
例えば、つい最近友達の髪型について「〇〇みたいだね」と良くない例え使って感想を言ってしまいました
笑って許してくれましたが、「見た目のことをそういう風に言うのは良くないから気をつけた方がいいよ」と注意を受けました
何気なく使ったつもりの言葉が友達を傷つけたかもしれないと思うと、恥ずかしさと罪悪感でいっぱいになりました
今までの人との関わり方を振り返ってみて、私は面白いと思われたいという気持ちばかり先行して、相手や周りがどう感じるのかという想像力が足りてないのだなと気付きました
今まで25年以上生きてきてやっとの気付きでした
現実の人間関係だけではなく、SNSでも同じように失礼なことを沢山してきただろうなと思います
今まで関わってきた人達のことを思うと申し訳なさでいっぱいになります
会話したり人と関わってなにかしたりすることは好きなので、自分の良くないところは直していきたいです
ですが、何をされたら普通は不快に思うのか、説明されてもちゃんと理解できていないと感じます
自分の気持ちや人から浴びせられた言葉に鈍感なところがあるので、他人の気持ちもよくわからないのかもしれないと思いました
直していく過程でまた人を不快にさせるのも怖いと思ってしまうのですが、まず何から始めれば良いと思われますか
長文で恐れ入りますが、どうぞよろしくお願いいたします
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
短所は長所、長所は短所
“個性”とはどんな状況でも思わず出てしまうものです。
あなたは“言葉選び”に個性をお持ちなのでしょう。
そういう場合はまず身なりを整えることです。
失礼な物言いをする人がそれを指摘されると、まず言葉遣いを直そうと思いますが、それはあまり上手くいきません。
具体的に言えば、
「ああ、確かにそれは失礼だ!気を付けよう!」
と思った人なら直りますが、
「え?そういうのを失礼だと感じる人もいるのか」
と感じた人は直りません。
ではどうするか。
世の中を見て、『失礼なこと』を言って許されている人を見てみましょう。
それはほとんどが言葉に含まれる“失礼さ”より、“面白さ”や“便利さ”などがたくさんある場合です。
芸人、評論家、芸術家、経営者、政治家、もちろん宗教者も
役に立たなければ、大炎上するほど失礼な人はたくさんいますよね。
あなたは『人に“面白い”と思ってほしい』という感性をお持ちです。
なら、“面白さ”に磨きをかけるべきではないでしょうか。
“誰に言われても失礼でないこと”はとても退屈な言葉になります。
それより、
“あなた以外に言われたら失礼だと感じる”
そういう人間を目指してみましょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました
欠点だと思っていたことを個性として捉えるという視点は自分では持てなかったと思います
人をひどく傷つけるようなことはしないよう気をつけていきたいと思いますが、成長して、自分の感性を認めてもらえるような人間になっていきたいと思います