恥ずべきこと
詳しくは言えないため、不明瞭な相談になることをお許しください。
先日恥ずべきこと(性的な衝動によるものです)をしてしまい、自分を損なってしまったような感覚を抱き続けております。
万一家族や知人に知られたら、恥ずかしさの余り生きてはいけないだろうとまで思います。
他者に知られる可能性は低いですが、それでも何かのきっかけに伝わってしまうのではと、恐怖で夜も眠れません。
特に、職場の人間に知られたものなら、職業柄、多くの人の信用を裏切ることになる可能性もありますし、退職することもありえると思います。
後悔してももうどうすることもできないのですが、そのことばかり考えてしまい、ずっと気分が塞がっています。
そして、こんな思いをかかえて生きていくくらいなら、いっそ今この瞬間に死んでしまえたらいいのにと思います。
その時お会いしてしまった相手の方は、言動などに少し変だなと思う所があり、容姿もあまり良くないと感じました。傲慢ですが、自分がそのような方と関係を持ってしまったことへの嫌悪感、もう以前の自分ではいられないような感覚も抱いてしまいます。
いつかその方に事の顛末を広められ、人生が終わるのではといったことまで空想する次第です。
自分に吐き気がします。そして、こんなことをする前の自分に戻れたらどれだけ良いかと思います。
自業自得ではあるのですが、このような後悔をどうしたら解消していけるのでしょうか。また、仏様はこのような私も救ってくださるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
後悔を教訓とする
詳細不詳のため、トンチンカンなお答えになったらお許しください。
忘れてしまえばいいと言うのは簡単な事ですが、当事者のあなたにとっては忘れよう思えば思うほど思い出してしまうような気がします。
しかし、生きていて後悔がない人間など居ないと思います。私は65年も生きていますから後悔だらけです。
あの時こうしていれば、こうしなければ。そんな感情が巡ります。厳しいことを申し上げますが起きた事は無かった事には出来ません。その事実と向き合うしかありません。そして、その事実と向き合いながら二度と同じ間違いをしないように生きるのです。ご自分の後悔を次はやらないと言う教訓に転化するのです。それが向き合うと言うことです。
苦しいかも知れませんがそう言う生き方にご自分を変える努力をして欲しいと思います。後悔は消すのではなく、次のステップのための教訓とするのです。
そして、最後に仏様は後悔を教訓にして前向きに生きるあなたを応援します。合掌
質問者からのお礼
宮本龍太 様
今後、このような事にならないよう、教訓として活かしたいと思います。今もまだ恐怖と後悔でとても苦しいですが、頑張って前を向きたいと思います。
お忙しい中、ご回答ありがとうございました。