完璧な友人
私にはとても素晴らしい友人がいます。
彼女はご両親の影響で医師を志し、かなり難しい状況の中努力を重ね、わずか半年で医学部に合格しました。
人格、能力ともに非の打ち所がないくらい素晴らしく、私自身彼女と一緒にいるとたくさんの刺激をもらえてとても楽しいです。だけど、時々、なぜこんな取り柄もない自分と遊んでくれるのだろうと自信がなくなってしまいます。完璧な彼女の時間を私が無駄にしているという罪悪感すらあります。最近は、負けず嫌いで努力家の彼女は、自分よりずっと、誰から見ても明らかに格下の私といれば気楽なのだろうな、だからこんなに良くしてくれるんだろうと卑屈なことばかり考えてしまいます。もしそうなら、そんなふうに思われているのは辛いという変なプライドがある自分も嫌いです。中途半端に小賢しい自分がますます嫌いになってしまいます。どうすれば少しでも楽に彼女と付き合っていけるのでしょうか?大好きな友人を大切にしたいという気持ちと一緒にいて辛いという気持ちがあり、わからなくなってしまいました。乱文失礼いたしました。何卒ご回答のほどよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
気が楽。
その言葉だけで十分だと思いますよ。
志穂里さまからみたら上かもしれませんが医療の世界は上には上がいらっしゃる世界だと思います。
お友達さまの置かれた環境は志穂里様が思うより、上とか下とか格とかいろいろ大変な気がします。
異分野にいるともだちと会う時は格上、格下から解放される時間。
そう考える方が互いに価値ある時間を過ごせますよ。
ですから志穂里さまとの間では格上、格下という言葉ではなく、ともだちという言葉を大切にされる方がよいと思います。
比べなくてもいいのでは?
「友人のことが大好き」という素直な気持ちに向き合ってみてはどうでしょうか。
人は、自分と誰かを比べて満足を得たり、逆に不満を得たりしやすいものです。そうやって比較をして、相手との関係性をアタマで捉えようとするわけですね。けれど、実は「良さ」というのは比べることではあまり見えてきません。
キリンとライオン、どちらが背が高いでしょう?どちらが足が速いでしょう?それに優劣をつけたところで、仕方がないです。キリンにはキリンの良さがあり、ライオンにはライオンの良さがある。相手には相手の良さがあり、自分には自分の良さがある。お互いに自然と惹かれるものがあったから、仲良くなれたのでしょう。優越感云々だけで友達になったわけではないです。
アタマで考えて言語化できたとしても、ココロの全てを表すことはできません。感情を揺さぶる気持ちの源は、言語化する前の段階のものです。これは、素直に受けとめればよいです。
「非の打ち所がない。だから素晴らしい。」だとかわざわざ理由付けせずとも、漠然と「好き」で充分ではないでしょうか?
どうぞ、これからも大好きなご友人と末長く仲良くなさってください(^人^)
質問者からのお礼
お忙しい中お答えいただき誠にありがとうございます。
どちらのご意見も大変参考になりました。あまり深く考えすぎず、一緒にいて楽しいという気持ちを大事にほどほどの距離感で付き合っていこうと思います。