反省、気にする、ということにつきまして
私は嫌な事あったら一旦は「自分の何がいけなかったのだろう」と考えて『これがダメだったかあれがダメだったか』と反省します。
段々とエスカレートして、し過ぎてしまって、段々と世の中で起こる出来事全部自分が悪いんじゃないかと思ってしまい、私がマイナス思考だからそうなるんじゃないかとか考えてしまって不安になってばかりです。引き寄せの法則とかそんなん信じる人も多いじゃないですか!?
それでもってサイトなんかで『そんなに気にしなくてもいい』とか書いてるのを見てはその度ホッとはしてるんですが、でも、『やっぱり本当にそれでいいのかな』って思ったりもしてしまいます。
本屋さんでもアインシュタインの名言で『どうして自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要な時に責めてくれるんだからいいじゃないですか』という言葉も書いてあったのでそんなに責め続けなくてもいいと思いますでしょうか。
こういう私の思いが伝わっても『気を使われすぎてしんどくなる』って言われて避けられたこともありますので、過度にはしすぎてないように振舞ったりしてるつもりなのですが、気にすることが美徳だと考える人々もいて、そういう人たちは気にしない人を責めたりします、気にしないことを責めます、どうすればいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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バランスを探る
ご相談拝読しました。
なかなか難しい問題ですね。自分がどうしたらいいのか、どうしたいのか、どうすべきか・・・色々と考えすぎると動けなくなってしまいます。かと言って何も考えないのもそれはそれで危ないかもしれない。何事もバランスが大事です。
自分といっても色々な側面があります。
・自分で知っていて他者の前に出せる自分。
・自分で知っているけど他者の前には出せない自分。
・自分では知らず他者が知らせてくれる自分。
自分の要素を挙げ出すとキリが無いですが、そうした様々な側面のどれか一つが本当の自分というわけではありません。全部が、総合的に自分なのです。その自分はAさんの前とBさんの前では異なるかもしれません。それも自然なことです。自分というのは関係性によって形作られるものなので、関係が変われば自分も変わる。
今、お悩みなのは、そうした中で他者視点の自分にバランスが少し偏ってしまっているのかもしれません。どんな他者にも受け入れられなければいけないわけではありません。どう振る舞ったって合わない人は合わないです。そのことは受け止める勇気を持ちましょう。
もう少し、自分がこうしたいという自分に重きを置いてみる。それで合わない時だってあるでしょう。自分が思う自分に偏ってしまうこともあるかもしれません。
でも今は、ちょっと他者視点の自分(他者から見てこうあるべきという自分)に偏っているようですから、調整して、自然な無理のないバランスを探ってみましょう。
世の中で起きることのほとんどは自分とは関係なく起きるものですが、それを見る私にとっての世の中は私の視点が彩ります。もうちょっと、「私はこうしたい」という視点で生きてみてはいかがでしょうか。
質問者からのお礼
吉武文法さま
おはようございます。
はじめまして。
早速のご返答どうもありがとうございました。
とても素敵で素晴らしいアドバイス感謝申し上げます。✨✨✨
『気にすることを美徳とする』人々の気持ちも理解はできますし、
(『う~んって悩んで色々考えて気にしている人々はとても素敵で魅力的だ』
っておっしゃてる人もいました)
『気にする人は気を遣うから苦手』とする人々の気持ちも理解はできます。
(あんまり気にしないで能天気に生きたいって人々もたくさんいてました)
ご返答のとおり『どう振る舞ったって合わない人は合わないです。』
という言葉も最近他の人にもアドバイスされたこともありました。
(気に入る人々に対しては何やっても怒らないけど、気に入らない人々には
何やっても怒る人々もいてるって言ってました)
いただいたアドバイスのように
『「私はこうしたい」という視点で生きてみてはいかがでしょうか。』と
いう言葉ありがたくちょうだい致します。^^
元々私は目立つのが嫌いで注目されるのも嫌いでした。
もっと目立たない(注目されない)ようになればそんなに人は必要以上に近寄ってもこないと思います。
過去に『優しそうだから八つ当たりされやすそう』ってよく言われました。
『本当に注意なのかただの八つ当たりなのかよく見極めたほうがいい』とも
言われました。
ここのサイトの相談のなかで『タイトル:お坊さんならどうしますか?』という問答がありまして、こちらのサイトもかなり参考になりました。
本当にどうもありがとうございました。
また何かあったらご相談させていただきます。