他人を羨んで妬むのが辛いです。
毎日人を羨み妬むことが辛いです。
私はバツイチで、最近再婚もし、住宅も購入しました。しかし子供がなかなか出来ず、不妊治療を行っています。
妻との仲も非常に良いかと思います。
しかし、年をとるにつれ自分が育てられる子供がいないことで、世間を恨み、職場で綺麗な女性を見ては、この女性は妻より綺麗だな、と思い羨みます。車でさえも自分の車より良い車を見ると嫌な気持ちになります。
挙句、理解のある妻であることをいいことに、別の女性と浮気をし、さらに職場の綺麗な女性と今まさに不倫を行おうとしています(肉体関係はまだありません)。ただ、受け入れられればすぐに関係を持つでしょう。
今はこの職場の女性のことで頭がいっぱいです。
自分は収入も人並み、車もそこそこの車、妻も決して綺麗でないわけではありません。
なのに何も満足出来ず、人を羨みつづけ、誤った行動をしています。理解していても、止めることができません。
今までの人生が全て人と比較して、羨み妬む人生で、生きて行くのが辛いです。
暗く考え込んでしまい、一日中悩む日もあります。
どうしたらこのような人を妬み羨むような考えを消せるのでしょうか。
今の自分に幸せを感じるにはどう考えたら良いでしょうか。
今の自分に幸せを感じるにはどうしたらよいのでしょうか。
読みにくい文章で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自身がどう見るか、それだけです
誰かと比べて自分は◯◯。
平均と比べて自分は◯◯。
あの人よりも自分はマシ。
現代社会に生きていると、人は相対的に見ることで自分を捉えることに慣れます。そうして、無意識のうちに安心を得ようとする。これは仕方のないことで、決して悪いことではありません。
同一線上で比べたり、同一平面上で比べたら、価値や特徴をアタマで理解しやすいですね。けれどいつしか、向き合う“そのものの本質”から逸れてしまいます。
身長や体重を比べて差の程度が分かっても、人の良さだとか、素晴らしさといったものは、相対的に見ることではその本質が見えてきません。yuki kさん自身がどう見るか、それだけです。
富める人が惰性で口にする食事と、貧しい人が苦労してありつく食事の美味しさは違いますね。「幸せ」は主観的なものであり、真に定量化することはできません。
yuki k さんはどんなときに幸せを感じますか?それは、仰るように誰かと比べて優越感を感じる瞬間なのでしょうか。自身の心を素直に観察してみてください。これが、『禅』の立場でお伝えできるアドバイスです。
アタマで考えて言語化するというのは、数学で言うところの微分することと似ています。アタマで理解することと、ココロで腹落ちすることは違います。笑顔や涙の理由は、その全てを言語化することはできません。妬みや羨望もまた同じです。
ご自身の心の動きについて、素直な気持ちで観察してみたらどうでしょう。どのように妬みますか?どのように羨みますか?それはどこから湧いてきますか?
きっと、内なる自分に気づけることでしょう。yuki kさん自身の“幸せ”が見つかりますように、ご祈念申し上げます。