私は恵まれすぎているのでは?
恵まれた環境に生まれて、他の方とのいいご縁に恵まれて生きてきました。
最近、自分の苦労と自分が受けている恩恵が釣り合っていない気がして、不平等さに胸が苦しくなります。
私の恋人は、ある程度の収入のある家に生まれたにも関わらず大学の費用が出ず、バイトをしながら勉強を頑張っていてとても苦しそうです。
彼女は別に私を妬んでいるわけでもなんでもなく、ただ私が幸せであることを望んでくれます。どうにも、学生で独立もしていない身分では彼女の力になれません。苦しいです。
翻って私は恵まれすぎているように感じます。親から大学の費用も出ますし、時々旅行にも連れて行ってもらえます。
そういうとき、とても苦しくなります。
「お前に楽しむ資格なんてあるのか?お前はそれに見合う努力や苦労をしたか?」という批難の声が聞こえてくるようです。
そして、人生は自分で生きるものなのだからそういうことに固執しすぎず自分ができるだけの人助けをすれば良いということも頭ではわかっています。
出来ることなら私より苦労している人、私にとってその象徴は恋人ですが、と代わってあげたいとすら思います。
この苦しみとどう向き合えばいいでしょうか。私は自分や周りを幸せにして生きていくことはできないのでしょうか。どうかご教示ください。
長文失礼しました。
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布施ということを考えてみませんか?
伊佐久さん、ご質問ありがとうございます。
自分は恵まれているのに、恋人は苦しい状態にある。
こういうふうに苦しむあなたは本当に誠実は方なのですね。
布施ということばはご存じですか?
布施はただお金を差し上げることだけではありません。
お金を差し上げるのは「財施」といいますが、僧侶がお勤めや
お話しをするのは「法施」です。
無財の七施というのもあります。
「和顔(愛語)施」「眼施」「心施」「言辞施」「身施」「床座施」「房舎施」
が挙げられます。
にこやかなお顔で相手に対するのもお布施。
優しいまなざしを相手に向けるのもお布施。
どうでしょうか?
恋人に布施をするのは、意外に易しいことではありませんか?
きっと恋人からも、布施していただけることと思います。
質問者からのお礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。
今、私はこの教えとともに一歩一歩歩んでいる最中です。今私にできることを精一杯して、あの子と共に、ゆっくり進んでいこうと思います。
仏の教えや、古今東西の智慧を学び、恋人、そして世の中に幸せを分けられる人間になりたいと思います。
藤堂様の教えで、人生が変わりました。本当にありがとうございました。