気が利かず、指摘にもひどく落ち込みます。
人を気遣うことができません。それを指摘されるたびに落ち込むのに、改善できず、また繰り返してしまいます。
具体的には人の分まで一緒に用意しないなどです。特に家族に対してはそうです。
それに対して親からは、「ちゃんとどうするか聞いてから(言ってから)動きなさい。聞かないで動くなんてありえない」と指摘されます。
これは小さい頃から変わらないもので、ほかの家族は気づいたことは「これやる?」など逐一聞いているのに、自分は気づくのが遅い上に、気づいても自己完結してしまって何も言わずに行動してしまいます。
外にいるときなどは、周りを見て細かいところに気づくことができるのですが、その上で人のために動くことができません。
家族のその様子を見ているはずなのにできない自分が本当に嫌で、今後社会や別のところでも生きていけるのかなととても不安になってしまいます。
また、こうして指摘されたときに、「やってしまった、どうしよう」など自分を責める気持ちでいっぱいになり、すぐ泣いてしまうくらいとても落ち込んでしまうのもいかがなものかと思っていて、そういうところも変えたいです。
特に親から、感情的に怒られたときにこのようになります。
この場合、どうすればいいのでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
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頑張りすぎな、あなたへ
ご相談いただきありがとうございます。
はるさん、頑張りすぎていませんか?心配しております。
そこまで自分を責めておられて、心身ボロボロになって…
今からの言葉をよく聞いてください。
はるさんは気遣いが「できない人」なのではなく、「気遣いたい」って思ってる人 なのです。そこが大事ですよ。
本当にどうでもいいと思ってたら、こんなに悩まないでしょ?
「人を気遣うことができません」じゃなくて、「気遣い上手になる途中です」 って思ってください。
あと、「ちゃんと聞いてから動きなさい」って言われるのが辛いのですね。
でも、そんなの急に誰だって完璧になれるわけないじゃありません。
少しずつでいいのです。
明日、「これやる?」って一回言えたら、それでOK。
その次の日も、また一回言えたら、それでOK。
それが10回続いたら、もう貴女は「気遣えない人」じゃありません。
「気遣える人になろうとしている人」に変わります。
それに、家族といると甘えもあるし、気が抜けるのも当然ではありませんか?
だから家族に対して気が回らないのは、自然なことで、そんな自分を責める必要なんてないのですよ。
それよりも、そんなふうにあなたが落ち込んでること、親御さんはわかっておられるのでしょうか?
怒る前に、「はるさんが、傷つきやすい」って気づいてくれたらいいのですが。
考えてみればそういうところは、親も完璧じゃないって話になりますね。
だから、貴女も完璧を目指さなくていいはずですよ。
できないことがあっても、あなたは貴女のままで大丈夫。
これからちょっとずつ、「やれること」を増やしていけばいいのです。
だから、今日もちゃんと生きてる自分を褒めてください。
そうでなくても、私は褒めさせていただきます!
「はるさん、えらいです よくやっておられます!」
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
古川さんのお話を聞いて、自分が、前に指摘されたときから、食事の用意の時など、意識して家族に聞くようにしていたことを思い出しました。
それでOKなんですね。
一つ一つのことを重くとらえすぎているのかもしれません。
でも古川さんのおかげで少し落ち着きました。
ありがとうございます。