意図せず小さな命を奪ってしまいました。
就寝前に部屋のランプをつけようと思い、コンセントを差し込みました。
その時「プチッ」と音がして、どうしたのかな?とコンセントを抜きました。見てみると、てんとう虫がコンセントの差し込み口で潰れていました。
命を大切にする事を改めて意識し始めていた時の事だったので、かなりショックを受けました。
その日は失敗したり嫌な事を思い出したり大変な日だったので、余計にダメージが大きくなったのだと思います。
この質問を書いているのは夜なので、夜が明けてから外に埋めようと思います。
誤って殺してしまう事がないように、これからは見つけ次第外へ逃そうと思います。春なので凍え死んでしまう事もきっとないでしょう。
偶然足元の蟻を踏んでしまったとか、目に入ってきた小蝿を溺れさせてしまったとか、意図せず小さな命を奪ってしまうことは、
生きているとどうしても起こってしまう事ですが、このような事とどのように向き合うべきでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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いのちは尊いものだけど
おはようございます。過去の質問も読ませてもらいました。君は本当に心優しく純粋な子なのだなと感じるよ。
仏教ではね殺生をしてはいけないと説かれているけどね、残念ながら人間は殺生をせずには生きて行けないんだな。
だって、毎日食事をするでしょ、植物も動物も全て生き物だよね。直接手を下してなくてもね生き物のいのちを頂いている訳だよね。だから「いただきます」と言うのは作ってくれた人にだけ言う言葉じゃなくて自分の身体を保つために頂く生命への感謝の言葉なんだ。
君がうっかり潰してしまったてんとう虫はかわいそうだけど、君はわざとやった訳じゃないでしょ。そしたら、ごめんなさいと言って手を合わせたらいいと思うよ。仕方ない事って必ずあるし、これから君が生きていけば必ず同様のことは起きるよね。
でもね、コロナ感染予防で手をアルコール消毒すれば目に見えない菌を何億も何兆も殺してるんだよ。全部命なんだ。
だから気にしなくていいとは言わないよ。君の優しい心はとても大切だと思う。
お釈迦さまはいのちは尊いと教えてくれてます。だから君の気持ちは大切なんだけどね、そう言う事で君の気持ちが押し潰されてしまう方が私は心配だな。
意図せず小さないのちを奪ってしまう事は生きていれば必然的におこります。でもその時に何も感じないのは人として少し欠落しているよう思うけど、君のように悩み過ぎるのもダメなんだな。考え方というのは極端すぎるのは良くないとお釈迦さまは説いています。だから、そう言うときは心からごめんなさいと手を合わせようね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
心がとってもすっきりしました。
これからはあまり考えすぎないで、殺してしまった時はごめんなさいという気持ちで手を合わせようと思います。
頂いた命に感謝して生きていこうと思います。
本当にありがとうございました。