消えたい
自分なりの考えなんですが手術をしてから性格が今まで以上に悪くなったようなきがします。ちょっとの事でも許せないというか小言が増えました。仕事でも利用者によって態度が変わってしまったり仕事にやる気が起きません。その後に自分に置き換えて後悔しているのです。入院中は介助を受ける身で優しく看護師さん看護助手さんに感謝でいっぱいでした。今は逆の立場です。あの時の気持ちを忘れてしまっているのです。仕事していても、ちょっとしたことで余裕がなくなって自分に嫌気がでてしまっています。他人から言われたり素っ気ないない態度を取られると気にしてしまうのに逆に私自身が素っ気ない態度を取っているのです。最近は仕事に行くのも嫌です。手術を受けたくなかった。あのままこの世から消えてしまえば周りの人も幸せだったと思います。私の小言に嫌な思いをしないで済むから。手術をしてくれた医師には申し訳ないですが。私には何をするためにここまで生かされているのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自由と責任
ご相談拝読しました。
消えたいと言いたくなるほどに、今あなたは自分という存在を受け止められない状況におられるのですね。
あなたがなぜ生きているのか。それは生きる原因・条件がととのっているからです。
別に、運命を支配するような絶対的な存在であるいわゆる神がいて、その神がなんらかの目的であなたを生かしているとかそういうことではありません。少なくとも仏教ではそのようには考えません。
ただ、はるか昔、宇宙が出来て、地球ができて、生命が誕生し、はてしない命の連鎖の中でご両親が生まれ、出会い、あなたが生まれた。そして今、さまざまな自然環境・社会的状況、肉体的な条件がととのってあなたが生きて存在している。
それだけのことです。でもそれが凄いことです。奇跡です。あなたが誰からも意味や目的を強制されません。自由なのです。
でも、自由には責任が伴います。あなたが生きる意味を実感するにはあなたの行動や主体性が必要不可欠なのです。
私たちの命が永遠ならば、命に目的や意味は生まれません。いつ何をしたっていいからです。
でも私たちはいつか死にます。限りがあるのです。だから私はなぜここにいるのかと意味を問います。
しかしその問いは誰も答えを教えてくれないのです。教えられないのです。
だからあなたの命の意味はあなたが見出し、受け止めなければなりません。
生きていたくなったと、今あなたを生かすご縁に反抗するのも、これが私がいただいたご縁なのだと受け止めるのも、あなたの自由です。
どうしたらあなたが本当に自分に満足できるのか。表面的なあなたの思いでは分からずとも、深い深いところにあるあなたの根本的な願いは分かっているのだと思います。
あなたがあなたであることを受け止められるご縁がととのうことを念じております。
質問者からのお礼
ありがとうございます。生かされているのですよね。まだ、この世で修業を
しなければならない。分かっているけど受け止めようとしないのかもしれません
何もかもが思う通りにならないのが人生なんですよね。
与えられた時間を生きるしかない。逃げたくても逃げられない今と戦います