自動車教習所に行くと嫌な気分になる
閲覧ありがとうございます。
現在、運転免許取得を目指して自動車教習所に通っています。
路上にも出られるようになり、運転を少しづつ好きになってはきていますが
乗車の教習の際についてくれるインストラクターの方が合わないと、大きくやる気を削がれてしまいます。。
大半の方は穏やかに教えてくれる方なので、その場合は次もがんばろう!と思えるのですが…
言葉が強かったり、当たりがきつい方も中にはいて、そういった方に当たった日はやる気を削がれてしまいます。。
高いお金を払っているのに悔しいですし、本当にもう嫌なときは泣きそうになったこともありました。。
まだしばらくは通わなければならないのですが、この先も合わないインストラクターに当たってしまった場合どんな心構えでいれば楽になれるのでしょうか。
お忙しいところ恐縮ですが、アドバイスいただけますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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目的を第一義に考える
ご相談読ませていただきました。教習所のインストラクターあるあるですね。私はもう45年前に免許を取ったのですが○○ハラスメントなんて言葉が無い時代はもっともっと酷かったですよ。何故なら45年も前のことを覚えてるくらいですからね。当時の教習所の先生は生徒を人間扱いしないのが当たり前でした。私は腹が立って仕方なかったのを覚えてます。でも、どうしても免許が欲しかった彼女を乗せてドライブしたかった気持ちが強かったので我慢して我慢して免許取った覚えがあります。
つまり、結論から言えばあなたが免許を取りたいなら我慢です。免許を取って自由にドライブするあなたを想像しましょう。免許さえ取ってしまえばこっちのもんだ、二度と教習所なんか来なくて良いのだからと思いましょう。ほんの数ヶ月です。
それから、もう一点としては私の時代では無理でしたが今なら教習所の事務所にイヤなインストラクターは自分に付けないで欲しいと頼んだら良いかと思います。さすがに45年前とは対応違うと思いますよ。ダメ元でイヤなインストラクターは排除しましょうよ。
それでもダメなら最後はこちらの気持ちを変えること。つまり、イヤなインストラクターでも私に免許を取らせるための愛のムチなんだと思い込むこと。目的は免許ですからね。
どうすればあなたが免許を取れるのかを第一義に考えてみましょう。
免許証が手に届いたら、きっとイヤなインストラクターも良い思い出になってるかもですよ。頑張ってね。
いけさん、はじめまして。質問を拝読しました。
いけさんは自動車学校に通っていて、教官によっては言葉が強かったり、当たりがきつい方も中にはいるのですね。やる気を削がれたり、悔しく嫌なときは泣きそうになったのですね。
とても共感します。長男も昨年に自動車学校に通い、いけさんと同じことを言っていました。
息子曰く、「当たりの強い教官は、昔のオラオラ言えた時代が忘れられないのだと思うよ」とのこと。さもありなんですね。
仏教では相手の事情に心を寄せることを心施(しんせ)と説きます。
教官にキツく当たられても「さもありなん」と手を合わせましょう。
合掌
質問者からのお礼
私も、自分の子どもを乗せて車で色々なところに連れて行ってあげたくて、30代になって免許をとりたいと思ったので、その気持ちを1番にしないといけないことに気付かされました。
平日は仕事をしながら、休みの日は本当は子どもと過ごしたいのに、時間を作って大金を払って嫌な思いをしなければいけないのか…ということばかりを考えてしまっていました。
最後の頑張ってね、のお言葉にグッと励まされて元気が出ました。
お忙しいところ、ご返信くださりありがとうございました。
(早速、嫌な担当は外してもらいました。。こちらもアドバイスありがとうございます!)