【不満】の定義 其のニ
*前にも同じ質問をしましたが、修正を加えた上で再投稿してます
不満とは…傲慢、かつ自尊心や虚栄心が無駄に高いろくでなしの心であり。
そして、自身の《9割の満足》で抑えられる【負】の感情なり。
例えばジュースで例えると、コップにジュースを注ぐとする。それを飲むわけですがその時のジュースのほんの僅かな甘さと美味さに人は満足感を感じるわけです。
ですが、肝心なジュースの入っていた容器には後ほんの少しだけギリギリコップに入り切らなかったジュースが《1割》残っていたのです。
コレが《1割の不満》です。
ですが、殆どの人が「まぁ、いっか」と思い、コップに入った《9割の満足》に浸るわけです。
つまり、《1割の不満》など本来ないにふさわしいし、そんな事でいちいち癇癪起こす様な事ではない。
ですが【世の中、自分の思い通りになる】
【自分は特別だ】
【楽に生きることが賢い判断だ】
【苦しみから逃れる為なら何しても許される】
逆に【自分だけは辛い目にあってる】
と思い上がってるろくでなしはその《1割の不満》にも耐えられないのです。
僅かな不満にも耐えられないから上記の様なことを思い上がることで【不満】とゆう精神的苦痛から楽になろうとする。
だが、それをした途端【不満】は《1割の不満》から《10割》と変わり、思い通りにいかないと【非難(喚く)】【罵倒】【嘲笑】【陰湿な嫌がらせや暴力】をやらかし【不満】から更に抑えようとせず、不満の根源と向き合わず、陰湿な暴力や嫌がらせと言った卑怯な方法で解決しようとし、ドンドン腐っていく。
そんなことしても僅かな【不満】はなくならない、寧ろ更に【不満】が大きくなるだけなのに…
本当にろくでもない。
私からすれば…不満と言った精神的苦痛は外部から来て、そして、その理不尽と言うまでもない苦痛に耐えられない。
【人間の心の弱さが原因】
だと、思っています。
先程も説明した様にコップに入りきらなかった僅かに残ったジュースに対して「まぁ、いっか」ですみそうなことを癇癪犯して喚き散らすような輩はろくでなしです。
そんなことしてる暇があるならさっさとコップのジュースを飲み干して、残った1割のジュースを入れられるようにしろというはなしです。
僅かな【不満】をも我慢できない【心の弱い】人間はそれが出来ないから、嫌になります。
皆さんはどう思いますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんにちは。
おっしゃりたい事についてよく理解できました。そのような方に振り回されてしまう現実もあり、つらいものですね。心中お察しします。
ご質問は「どう思いますか?」との事なので、回答としてはこれで終わりになりますが、やはりそのような外部的要因による苦痛に対してどうすれば良いのか、という事も知りたいですよね。
そこでヒントになるのが、お釈迦さまが亡くなる時に最後の説法をした様子をお経にした「仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経・遺経)」というお経の中の「遠離(おんり)」という教えです。その中で「安楽を求めるならば、喧騒の地を離れて閑静な地で留まるが良い」と示されています。
「喧騒の地を離れて閑静な地で留まる」というのは現実的にはなかなか難しいと思いますので、せめてそのようなストレスの原因になるような人からはなるべく距離をおいて過ごすのがよろしいかと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます