自分の中の凶暴性が怖いです
自分の中の凶暴性が怖いです。
時折、殺人衝動に駆られます。殺人を犯したことはもちろんありません。
どこかストレスを抱えているのかもしれません。ですが、突如として、誰でもいいから人を殺したくなる、そう思ってしまう自分がいるということが恐ろしいのです。
私は教師になるため、勉強しています。
そのようなことを考える人間が人前に立って良いのでしょうか。
そして、私のような人間が誰かと結婚し、幸せになっても良いのでしょうか。
日々の忙しさに気が紛れ何とか過ごせていますが、ひとりの時間は怖いです。
感情を抑えようとするほど苦しくなります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝
仏教的な回答というより生物学的な回答からですが
人の中には狂気があると思います
野生とも言えるし
サイコとも言えると思います
これらをまとめて「破壊衝動」と
私は考えてます
更に破壊衝動には自己破壊衝動と社会破壊衝動に分けて考えます
例えば
いじめられたり怒られたりと
嫌な体験が続くと
ここで死んだら楽になるだろうな
みんな死ねば良いのに
殺してやりたい
私自身
そう思う事は子供の頃辛い時期によくありました
絶対にあってはならないはずの狂気が
自分に備わっている事実に
恐怖を感じるのは当然ですが
動物ですので
抑圧されると破壊したくなるのは
当然なのです
自分の中にある狂気は自然なので否定する必要はありませんが
1番気をつけなければならないのは不安になる事です
不安は全てを悪い方向に陥れます
大事なのは貴方を抑圧する事を認識する事と
その問題を速やかに解決する事です
複数の問題が解決されずに放置されたままなのかなと思います
そのまま放置すると問題はどんどん積み重なって
最悪は思考力や論理感が落ちて衝動や妄想優先で動くようになるわけです
仏教では一言「妄想」と言いますね
論理を欠いたあらゆる妄想は人を堕落させるのです
破壊衝動は自分の世界を破壊したいと言う心理ですので
今の世界とは違うところに何かを求めている事は間違いなさそうです
合掌
多くの人に経験がある
そのような衝動や空想は、多くの人が経験していると思います。
私が好きなバンドの歌詞にも残虐な空想の内容があります。
その空想を実際に行動に移してしまうのか、フィクションの作品(音楽や物語など)に共感することで昇華させたり、自らも創作し発表することで攻撃的な自己顕示欲を満たすことが可能でしょう。
ほとんどの人は一線を超えません。
ただ、たとえばイライラしながら攻撃的に車を運転したときに事故を起こしたり、ついつい煽り運転をしてしまうなど、ハメを外してしまう場合もあります。
牛丼店や回転寿司店での不衛生な悪戯なども、攻撃的な自己顕示欲、世間を見返してやりたい、みたいな衝動のせいかもしれません。
ということで、あまり心配しないで、「誰にでもあること」だと思ってください。
あなたは、攻撃的な子供達の気持ちを理解できる素晴らしい先生になれるかもしれません。
質問者からのお礼
ご返答いただきありがとうございます。
「複数の問題が解決されずに放置されたまま」その通りかもしれません。解決の糸口が見えず、自暴自棄になっていました。
どこか、完璧でなくてはならないという思いに駆られ、本来の自分を、自分の尺度と言いますか、見失っているのだろうと思います。
「攻撃的な子供達の気持ちを理解できる素晴らしい先生になれるかもしれません」その言葉に救われたような気がします。
凶暴な自分も含めて、もう少し自分を信じてみることにします。
ありがとうございました。