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ちゃんと恋愛が出来るでしょうか?

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有り難し有り難し 22

7年前に不倫を経験しました。彼は奥さんと離婚をして、私は裁判にかけられ制裁を受けました。その彼とは5年程付き合いましたが、彼は別の女性を好きなり、結局最後は別れました。

不倫をしておいてこんなこと言ったら申し訳ないのですが、私にとっては本当に大恋愛でした…。
不倫から彼と別れるまで色々なことがあり、恋愛に対してトラウマになっているせいか、どういうふうに付き合って良いのかわからないのです。

異性と上手く話せなかったり、甘えることが出来ないんです。
でも、素敵な方と出会って恋愛をしたいです。
こんな私でも、この先恋愛が出来るのか不安です。
恋愛の前に、人間関係の付き合いが下手なのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

恋愛をしようと思うから間違う

人が生きるのは恋愛をするためではないと思います。
あなたは愉しむ「恋愛」をするために生きていませんか。
刺激や快楽、スリル、興奮。
女性は母親になる可能性を秘めています。
ですが、あなたが求めているものは、いつか母親になる的なものではないでしょう。
女として、女性として、オトコを好きになっている。
家庭的ではない、恋愛は快楽部門です。
子どもを持つ母ちゃんが「あー、刺激欲しいわ♡快楽、スリル、興奮欲しいわ♡」とか言ってたら、子供はヒきます。
今は「女ですもの」かも知れません。
いずれ、子供の幸せをサポートする母親になるお立場です。
子供が火遊び好きにならない様、そろそろ家庭的になりましょう。
刺激的な快楽部門の恋愛は一生モノではないのです。
刺激の強いスパイス料理は早死にします。
家庭的な安楽部門の女性として、ステキなお母さまを目指して、マイルドで毎日食べても体に負担の無い料理のような、安心ある恋愛の価値を見い出してください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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