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銃弾をはじき返す鋼鉄の鎧を着てバズーカ砲で威嚇かと
ブラジルで起こった審判が拳銃で選手を威嚇した件の事でしょうか。
そうでないならば、どんな状況かわかりませんが、相手以上のものを持って、相手のゴールへ笑顔で突撃しましょう。(^<^)
そうすると同じレベル(幼稚)になれます。
サッカーをするならサッカー。
ルールを無視したものはサッカーではありませんからね。
PLAYも遊び心でプレイなのか。
相手を選ぶべきかと思います。
相手は、サッカーをしているんじゃなくて、負けたくない、勝ちたいだけ、勝つ、相手を屈服させるということをやっているだけで、人間には誰にでもそういう心理があるのでしょう。
尊厳を傷つけられたくない、と。
そこを理解してあげたうえで、マトモな語らいができる相手ならば、スポーツになるでしょうが、話の通じない相手とはスポーツにもゲームにもなりません。
スポーツは勝つためにやるのではなく、自分が自分を自分せしむるのみです。
「サッカーに拳銃を持ってくるなんて幼稚だなぁ」と思う、その心をまず自分のフィールド内で鎮火させてみましょう。自分に打ち克つ事が出来れば答えは無限に出てきます。
選手が全員撃たれたら勝ちはない。
選手が全員撃たれたら、試合ができないからノーゲーム。
ピストルなんか出されたら、怖いからさっさと逃げること。くわばらくわばら。
さてくわばらくわばらの語源を知っていますか?学問の神様の菅原道真公が福岡の太宰府に流されて憤死した時に、あまりの怨念に雷神さまになって雷を京の都の政敵などに落としそうです。しかし、天神様の領地の桑畑、桑原だけには、雷を落とさなかったので桑原桑原というと雷が落ちなかったらしいんです。だから、ピストルを向けられたら桑原桑原と唱えると、ひょっとすると弾を避けられるかもしれませんね。少し喋りすぎたので、このへんで桑原桑原。
ご苦労さん。
質問者からのお礼
サッカーに拳銃を持ってくるのが幼稚なのではなく、サッカーに拳銃を持ってくれば勝てると思っているところです。要は此方がルールを破れないのをいいことに...という感じです。
ありがとうございました。