縁を切った友人への消えない怒りについて
5年以上前に縁を切った友人への怒りが未だに消えません。
その人は常に私の事を『親友だ。』と言いながら、都合よく
利用することしか考えない人で、最後に会った時に、
『正式に友人として対等に付き合うつもりはないが、
私の空いてる時間に話相手などには必要だから付き合いを
続けてほしい。』と宣言されて、別れを決意しました。
さらに有り得ない事にその事についてを相手と私の周囲の人達と
関係のない人にまで自分の都合の良い様に脚色して触れ回っておりました。
人の心を深く傷つけた事よりも自分の体裁を何よりも気にする
精神性が本当に赦せません。
その人は正しい言葉を本意ではなく、自らの台詞として
ただ吐いてる様な人でそこに騙される人は沢山いますので
私はとても辛い思いをしました。
その人とは何も話しもせずに別れました。
一番大切なものを侮辱されたので怒りは消えません。
それを伝えたところで理解する相手ではないからです。
だから辛いんです。
今でも辛い時が来ると必ず思い出します。
この事をどの様に考えれば気持ちは救われるのでしょうか?
教えていただきたいのです。
どうぞよろしくお願い致します。
長い文章をお読みいただきありがとうございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その人は周りの人達に嘘をついて体裁を守ろうとするなんて可哀想な人ですね。
嘘は苦しみを生みます。
その人は多くの苦しみを生んでいることでしょう。
そう考えて怒りよりも哀れみの気持ちを持つようにしてはどうでしょうか。
怒りは自分に毒になるだけですから捨てましょうね。
質問者からのお礼
聖章様
御返信誠にありがとうございました。
辛い事があるとその事と同時にこの記憶が蘇ります。
長く付き合った友人で楽しい思い出もありましたが、
最後に会った日の出来事でその思い出は全て打ち消され
悲しい記憶しか残らず、仰る通り苦しみしか生まれませんでした。
これからはいただいた御言葉を
思い出して前に進みたいと思います。
気持ちが救われました。誠にありがとうございました。
お礼を再度書かせていただきます。
この言葉をいただき、最近は
この様な思いを抱く自分を情けなく思う気持ちから
自分を真剣に愛せる気持ちに変わりました。
この時の怒りは自分にとって心の間違いだと思わなくなりました。
(あくまでも自分にとってです。)
これからも少しずつでも学んで変わっていきたいと思います。
誠にありがとうございました。