生きることは虚しいと感じてしまいます。
たまに生きていることが虚しく感じます。
生きていて感動することも、出会えてよかったと感じることも沢山ありました。しかし何故かいつも、どうせいつか死ぬという考え頭を過ります。
私は医療従事者です。しかし、こういう考えが頭を浮かんでしまう自分に対し、自分は命を尊く思っていないのではないか、と不信感が消えません。
命を尊く、生きることは儚く素敵な事だと心の底から思いながら生きていたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いつか来る死を受け入れられるように
こんばんは。「どうせいつか死ぬのだから、今何を楽しんでも意味はない」、そう考えるのはもちろん貴方の自由です。それを改めよ!とは言いません。
私も「どうせいつか死ぬ」という認識は同じです。だからこそ…ここはあなたと違いますが、「今できることはしておきたい」と思うのです。仕事のこともそうですし、家族に対してもです。こんな夜遅くに起きているのも、そのためかも知れません。その根源を探せば…「明日死んだとしても、なるべく悔いなく生きたいな。死に対して抗わない自分でいたいな」ということでしょう。
私ごとですが、先日ある先輩がお亡くなりになりました。20代のころ、一緒に仕事をした方で、包容力とユーモアがあり、お寺でも精力的に活動されていました。ところが(少なくとも傍目には)全く予兆なく、ある朝急にお亡くなりになりました。苦しさとか体調のおかしさを感じ、死を予感したときに、「あれをやり遂げねば!」ということはなかったのか、すくなかったのか、多かったのか…もし私が継げることがあるならば、どんな些細なことであっても、思いを継ぎたいとさえ思いました。
医療関係者であるということは、人の亡くなってゆく姿に接することも多いのではないかと想像します。どうでしょう、亡くなった人というのは何も残さないものなのですか。命というのは、「心臓が動いている」という以上の何かがあるのではないでしょうか。もしかしたら、それを見落としていませんか。
その心臓は、あなたの意思で動いているのではありませんよね。あなたを生かすために、黙々と休むことなく動いています。その動きを感じ、健気だと思うならば、今できることを…可能であれば誰かを感動させたり、「あなたに出会えて良かった」と言って貰えるように…そこまで行かなくとも、誰かを和ませたり喜んで貰えるように、使えないかを考えてみてはいかがでしょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます🙇🏻♀️🙇🏻♀️