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考え過ぎることについて。

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有り難し有り難し 21

もし~だったら等、変に考えすぎてしまい、苦しくなります。

例えば、無計画なせいで食べ物を粗末にしてしまいました。すると、バチがあたって目が見えなくなったらどうしよう思ったり。
感染症について、何かを触る度、手を洗わないと、もし今この手でこれを触ってしまったばかりに菌やウイルスが体内に入ってしまい、切断とかになったらどうしよう等と考えてしまいます。
自分でも考え過ぎなのは分かっているのですが、怖くて怖くてたまりません。
考え過ぎるせいで、日々生活しづらく苦しいです。
余計なことまで考えないようにするにはどうしたら良いでしょうか?
考えなくて良いことまで考えて、不安で落ち込んでばかりです。

2023年6月16日 22:45

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「もし~だったら」から「だからこそ」へ

もし~だったら、ああすればよかった、こうすればよかった、などのタラレバ思考から「だからこそ」思考へ切り替えて心をより良い方向へ軌道修正しましょう。
タラレバからの激凹落ち込み君になるよりは、そうなったら嫌だ、いやだ、だからこそこうしよう!という前向きスタンスを習慣づけましょう。
人間の心は安定を求めるのですよね。
ここに寄せられるあらゆるお悩みもみんなあなたと同じです。
みんな安定を求めている姿ともいえるのでないでしょうか?
安定を求めている。
一定の状態をこわしたくない。
今の幸せが続いてほしい…
だからこそ、不安になるのです。
だからこそ、不安がなくなるようにした方がよいのです。
だからこそ、いたずらに自分を苦しめる考え方はしないようにしよう。
そのためには、現実をきっかけとして不安に思うことがあったら、それをきっかけに心を高めるのです。不安の98%ぐらいは現実にはならないものでしょう。そこでありもしないことでなやんだり、空が落ちてくるんじゃないか?という杞憂的な心理になれば毎日息苦しいはずでしょう。
わたしも学生時代に病んで病んで凹んで凹んでこの世の生き地獄心理に堕ちて内なる魑魅魍魎のような煩悩に苦しめられたのです。それこそ当時もあーなったらどーしようこーなったらどうしよう、どうせこうに違いない、こーに違いない、あの人は自分のことをきっとこう思っているに違いないみたいなことを考えて現実離れをしていたものです。
だからこそ、こんな自分を何とかしたいという志を強く持つのです。
心を向上させよう、強くなろう、柔軟になろう、豊かになろう、勉強はできずともこの世で生き抜くために必要なチエを持とうという気持ちを持つのです。
それが菩提心というものです。
自分も救われる。そして、その救われた心で同じように悩む人をたすけてあげる。
だからこそ「だからこそ心理」+「より明るい方へ向かおうとする心理」をもって活路を見出すことが大事なのです。
お釈迦様だってあなたと同じく、いつか死んだらどうしよう、病気になって年を取って老化して動けなくなったらどうしよう…と悩まれたのです。
だからこそ、人はそこからより良い安定を求め始めるのです。
悩んでもいいのです。だからこそ、そこからより確かな生き方を求めるようになる。悩みがある。いきぐるしい。だからこそ仏教の救い、仏教の導きが心にしみる。

2023年6月17日 6:57
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

「ダイジョウブ」

え~うさぎ 様 相談ありがとうございます。

「もし~だったらと」ネガティブを想像したら、ネガティブを想像している自分がいるんだなと、自分を客観視してみましょう。
「もし菌やウイルスが体内に入ってしまったらどうしよう」と思ったら、いったんし呼吸を数回して、自分を客観視するようにして「もし菌やウイルスが体内に入ってしまっている自分がいるんだな」と思いましょう。そして、そんなネガティブを想像した自分を優しく「ダイジョウブ」声をかけてあげて、ネガティブな自分を客観視した自分から抱きしめてあげましょう。
何度も「ダイジョウブ」と言い、何度も自分をハグして、心を癒しながら。
「怒りや怖さ」も、客観視して「ダイジョウブ」と伝えて、
自分に優しく思いやりをもって、その怒りや怖さから、離れる練習をしてください。不安や落ち込みも晴らせるようになるでしょう。
一礼
参考にしてください

2023年6月16日 23:37
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有り難し
おきもち

個別相談可能
お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリング、コーチングなどで活動しています。 メールでの相談も受け付けています。hasunohaの回答後のフォローアップはメールで致しておりますので、メールでお問い合わせください。また面接でのカウンセリングセラピーをご希望の方もメールで連絡をお願いします。 honsyoji.sk@ddknet.ne.jp へどうぞ。
昼間は、ほとんど法務に出ておりますので、夜の応対になります。 できれば、事前にメールで相談内容を教えていただければ、スムーズなセッションになるように思います。 プライバシー、相談内容の守秘義務は遵守いたします。

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