自業自得な色々な後悔
こんばんは、、宜しくお願い致します。
昨年、母を看取った時、苦しそうだったので思わず「苦しかったらもうあんまり頑張らなくてもいいんだよ」と声がけしてしまいました、、
そしたら母は逝ってしまいました。
あの時「頑張って!」「死なないで!!」と声がけしてれば、今も生きててくれてたかも?という思いが頭をもたげます、、
その他にも母の寿命を縮めるような事ばかり言ったりやったりしてきたかもしれません、、(泣)
また、介護に於いて私は全然努力せず、大事な母をあっさり施設に入れてしまった事も最低だなと後悔が消えません。
そういう後悔はどうしたら払拭出来るのでしょうか?
その上、私のせいで介護鬱を患った姉も母を追うように亡くなり、自責の念でもうどうしたらいいかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ゆーみんさん、おはようございます。ぎそうと申します。
後悔や自責の念が消えずに苦しみ続けているのですね。
でも、ゆーみんさんの選択は、そのときのあなた自身にとって精一杯で、悩み苦しんだ結果だったのではないですか。
私は、とある命を掛けた修行をした際、追い込まれ限界ギリギリで自分と闘っていました。そんな中で私はさらに自分を追い込むか、少しでも休むかの選択ができる際、休む選択をしました。
それは死ぬのが目的ではなく、無事に修行を成し遂げることが大事だと思ったからです。
そのときに思いました。後の自分が修行を振り返ったとき、もっとできただろと言ってきたとすれば、それは間違いで今の私は一所懸命で精一杯だったんだと。
私はこの気持ちを忘れていないので後悔はしていません。
ゆーみんさんもお母さんを看取ったときと今では、あらゆる面で全く同じではないはずです。
そのことを理解して、そのときのゆーみんさんは精一杯だったと受け止めてあげることが必要なんじゃないでしょうか。
それができないとこれからも、何度でも同じ後悔や自責の念にかられて苦しむことが続くでしょう。
過去と今では、全く状況が違うのです。そして過去のゆーみんさんは精一杯だったんです。自分で自分を受け入れましょう。
人生には限りがあります。
今に目を向けてください。
でも、悩んだらまた相談してください。
大丈夫です。南無妙法蓮華経。
質問者からのお礼
ぎそう様
お忙しい中、お優しい御言葉をかけていただきありがとうございました。
確かに私も姉もいっぱいいっぱいだったかもしれません。
でも友達は介護度5のお母様を在宅で看てるのに、私は介護度まだ2の母を施設に入れたと、他人と比べて自己嫌悪に陥ってました、、
人それぞれ、キャパも違うし、比べても仕方ないですよね、、
自分がしてきた言動も、自分で受け入れていこうと思えました!!
体験談も交えたお話、具体的だったのでストンと腑に落ちました。
季節の変わり目、ぎそう様もお体大切に益々ご活躍くださいませm(_ _)m
この度は本当にありがとうございました(=´▽`=)