親を亡くした罪悪感との向き合い方について
母を介護〜看取ってからの私の精神状態について、何度かこちらで相談させていただいております。
もうすぐ一周忌ですが、現在も変わらず罪悪感が絶えません。
常に落ち込み続けるということは少なくなりましたが、日常ふと思ったことに対して、「母は◯◯だったのに私は」や「母の希望を叶えてあげられなかったのに…」と思います。
些細なことから私のこれからの人生についてまで大小様々です。
髪切りたい
→あなたの髪で私のウィッグ作ってよ〜と言われ検索はしたが、値段的に無理で誤魔化した
肌の乾燥がひどいから保湿しないと
→母は亡くなる直前手足乾燥しまくって唇も荒れまくっててそれ見ながらケアしてあげなかったくせに何自分だけちゃんとしようとしてるの?
実家の片付けに行きたくない、父に会いたくない
→病気がわかる以前に私の一人暮らしの家に逃げてこいと言えばよかった、助けられるのは私だけだった、劣悪環境な実家に父と2人きり閉じ込めていたらそりゃあ病気になる、私が全て悪い
体調が良くない
→母は我慢してたのだから私も病院行くな 私も我慢しろ
自由に生きたい
→母は自由がなかったのに私は自由に生きるの?
以上のように、日常の端々で母のこと、母に関する出来事が過っては落ち込みます。
もちろん母のことを忘れたいわけではないですが、私が自由に生きることは、赦されないのではないかと思ってしまいます。
母を介護していた祖母の家(田舎)で丸一年無職で過ごしてきましたが、このままではいけないと思い、母との思い出が一切ない縁もゆかりもない土地に就業場所を見つけました。
一周忌が終わり次第引っ越す予定ですが、この選択も間違っているような気がしてなりません。ここまで裏切ってきた母をさらに裏切るような感覚があります。
罪悪感の理由のひとつとして、母が病気の経緯をメモしたものがスマホに残っており、親族向きには「体の異変に気づかなくて見つかった時にはもう…」と言っていたものが、本当は出血に気づいていたが病院に行かなかったとか、私が一人暮らしから帰省した際に本当は「体調が悪い、帰らないでと言いたかった」と思っていたとか、どうしてもこちらが後悔する内容でした。
この気持ちとどう向き合っていけば良いのでしょうか。
毎回似たような相談になり本当に申し訳ございません。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お母様が見守っています。
たつ 様 相談ありがとうございます。
お母様は仏様の世界からあなたを見守っています。
それもあなたに合掌をして、無事に生きられるように願ってこちらを向いています。
あなたが合掌をして、ご先祖様になられたお母様に向かって祈りをささげるとき
お母様はこう言うでしょう
「後悔しなくていいから、自分の命を精一杯生きなさい、それが私は一番うれしいし、あなたの心からの笑顔がみたい」って。
と私は思います。
上記の事を信じるか信じないかはあなた次第ですが、(できれば信じて欲しいですけど)後悔することを、あなたの教訓に変えるのがよいと思います。
お母様が身をもって示したくれたこととして、
ウィッグは値段がかかる。
肌はしっかり保湿する。
劣悪な環境は避ける、変えていく。
体調が悪い時はすぐに病院へ。我慢しなくていい。
自由に生きていい。
などなど
教訓に溢れています。
悲しみが癒えない中、心を奮い立たせるのは大変でしょう。辛かったり、混乱したり、落ち込んだりいろいろあると思います。感情もその都度ごとに吐き出して、泣いてもいいし、怒りがでてきてもいい、自分を責めることもあってもいいので、その都度ごとに、後悔は教訓だったんだと思うように心がけて過ごしてみてください。
そして、一人で辛い時は、誰か信頼できる人に話を聴いてもらいましょう。共感してもらうことも癒えていく一つですから、一人で頑張らないようにしてください。
グリーフケアを受けてもいいと思います。
参考にしてください。