偽遍路
商業施設や繁華街の店舗外で、お遍路さんを見かけることがあります。
近所の商業施設で何度も見る顔もあり、お遍路さんの格好をした、偽遍路ではないかと疑うこともあります。
(休日を利用して回る方もいるので、決して全員を疑うわけではありません。)
人の善意(施し)だけ受け取る人たちは、どういう心持ちでいるのでしょうか。いつか罰が当たると思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
喜捨、慈しみ、
拝読させて頂きました。
大変お待たせ致しまして申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます。
その方々が本当のお遍路さんなのかいつわりの方々なのか正直わかりませんが、あなたがその様に疑ってみてしまうお気持ちもわかる様に感じます。
ただその方々が生きていく寄る辺としてご喜捨を頂こうとなさることはご本人の自由です。罰が当たるというか、ご喜捨なさる方々の善意が遅かれ早かれその方々の心に届くでしょうし、その方々が生きていく糧になっていくでしょう。
そして多くの方々がその方々に恵みを与えて仏様や神様がその方々をお見守りなさって下さっていることに変わりはありません。必ずその方々は仏様や神様や多くの方々のお慈悲に感謝なさるでしょう。
その様にお互いを支え合い慈しみの心を育むことの大切さを仏様や神様やご先祖様は私達に教えて下さっています。
恐らくですがその様なことを逸話として事例が世の中には沢山あります。宜しけばどうかお調べなさってみて下さいね。
あなたがこれからの人生をいたわり慈しみの心を持ちながら人とのご縁に恵まれて心から豊かに幸せに生き抜いていかれます様に切に仏様や神様やご先祖様に祈っております。至心合掌
あなたにもお遍路さんへも仏様や神様やご先祖様の慈悲が施されます様に、豊かな人生に恵まれます様に切に仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azumaさま
日頃から、とどまっているお遍路さんに疑いの目を向けてしまい、喜捨をされる方へ思いを巡らせることがありませんでした。
狭い視野で物事を見ていたと実感しました。気づきをくださり、ありがとうございました。