自分がわからない
3度目の質問です。
前回の質問を見て頂けると幸いです。
自分のしたことが受け入れられず。なぜあの時あのような決断をしてしまったのかずっと考えてしまいます。あの時は経済的にも他の事でも不安な事ばかり考えてムリだムリだとばかり考えてました。家族の為にお腹の子を犠牲にするつもりは全くなくて産めばなんとかなるさで産んでどうにもならなかったら?露頭に迷わせてしまったら?苦労させてしまうと思ってました。産み育てる勇気がなくて自分に言い聞かせていたのかもしれません。ホントは産みたいキモチもあったのに蓋をしていました。なぜ大切な命だって妊娠した時点で責任は生じているってあの時分からなかったのだろうと思います。ホルモンバランスが崩れていてつわりもあり1人で1週間で決断しろと言われた中ではそのような決断しかできませんでした。すべて言い訳です。自分が弱かったからです。誰でも中絶は駄目なことってわかるのに追い詰められたらどんなひどい事もできてしまうのかって自分はサイコパスなのかひどい人間なのかって思います。バチがあたるとか人一倍思う方なのに性格的にも絶対に耐えられないってなぜあの時わからなかったのでしょうか?結局失わなければ気付けなかったいい年して愚かで浅はかな人間だったんですよね。
今は失って傷ついてその後ずっと考えてきたからもっとああしていればこうしていればもっとポジティブに全力で頑張ればなんとかなったんじゃって分かるけどあの時は追い詰められていてそうするしかないってそうとしか考えられなかったんだと思います。
でも今のわたしはずっと自分を許せなくてずっと自分を責めてしまいます。
この事で私が心を病んで働けなくなったら家族が不幸になったらこの事はなんだったろうと思って今カウンセリングを受けたり安定剤を飲んだりして必死に生きています。
子供達に罪はないけど、私はこんな罪深い事をしておいて自分は生きる為に必死に薬飲んだりしているって何なんだろうって思ったりします。
自分で自分が分かりません。
優柔不断 いつも後悔してしまいます
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死は変えられない。だが、意味は与えられる。
「取り返しがつかないこと」というのが時々あるんですが、確かに命の問題は取り返しがつかないように見えます。
しかし、です。
「その命に意味があったのか」という問いに答えを出せるのは、その命があったことを知っている人だけです。
命は生まれればいずれなくなるものです。
だからこそ、早くになくなってしまった命に意味を与えてあげたいと思うのは親として当たり前の感情だと思います。
あなたのお子様の命は、あなたの人生に意味あるものでしょうか?
その死に苦しんでいるだけでは、無意味どころか害あるものになり、とどのつまり“無い方がよかったもの”と扱われます。
その扱いをする自分に、自身の心がさらに苦しむ、という悪循環。
あなたは死に物狂いでその命を意味あるものにしなければなりません。
他のお子様に一層の愛情を注ぐもよし、次の子供を望むもよいでしょう。
よそ様の子供にたくさん優しくしてもよいでしょう。
世の赤ちゃんに貢献する仕事やボランティアに参加することもよいと思います。
過去は変えられませんが、その意味は変えられます。
なんとか、その子の命に良い意味を与えられるよう、精進なさってください。
質問者からのお礼
けいじょう様
返信ありがとうございます。
そうですね。この事でたくさんの事を学びました。本当の意味で命の大切さ。自分は愚かで浅はかだった事主人と話し合いが足らなかった事。ネガティブだった事。でも今のままでは苦しいまま。鬱で寝てばかりで子供に愛情注げていません。このまま潰れてしまったらこの事はほんとなんだったんだろうって思います。後悔をバネに強くならなきゃいけませんね。反省しながら懺悔しながら生きていかなければいけません。本当になんでこんな事してしまったんでしょう。自分の弱さが嫌になります。なんで分からなかったんでしょう?