大切だった人への執着のなくし方
以前一度相談させていただきました。
大切な人と連絡が取れなくなってしまい、待つことを決めましたが音沙汰はなく、半年以上が経過しました。
流石に半年以上変わらず何もなければもう待つことが意味ないことは頭では解っているのですが忘れることも出来ず、相手から貰った物や思い出、繋がっていたSNSのアカウントも消せずにいます。
自分が好きだったものは殆ど共有していた為、好きな音楽を聴いても好きな作品を観ても何をしていてもふとした瞬間に思い出してしまい、何かを楽しむという事が未だに苦痛です。
新しい出会いを見つければ変わるのかもしれませんが、一番信頼していた相手とこうなってしまった事により他人を信頼する事もできなくなってしまい、人と仲良くなるという行為も意味を感じられなくなっています。
時にはポジティブな気持ちになるのですが、ふと思い出してしまうことでその状態も数日と持たず、何も言わずにいなくなったのは向こうなのに何故こんなに振り回されないといけないのか等と自分勝手な恨みに似た気持ちに一瞬でもなってしまうのが本当に嫌です。
好きだったものも純粋に楽しめず、人と接するのも怖く、半年以上ただ無意味に生きているような状態で、希死念慮も消えてはいません。
全ては私が執着し過ぎている事が原因です。
無くすには残している相手に関する物を消すことが必要な事も分かっています。
ただ、今となっては見返すのは辛いものでも、それでも私にとって人生で一番幸せだった大切な記憶であり、どうしても消すことができません。
こんな状態から抜け出すにはどうしたら良いでしょうか。
ご助言いただけると幸いです。
丑年の天秤座
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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恋人もペットも寿命に限りがある消耗品
そもそも、出会いは別れの始まりです。
人間にも動物にも寿命があり、誓った愛でさえ死が2人を別ちます。
恋人もペットも、寿命に限りがある消耗品なのです。
だから、人を信じるとか信じられないとかは大した問題ではないのです。
「両思い」という双方向の矢印は初めから存在せず、片思いと片思いの一方通行の矢印が、たまたま向かい合っている時期があるだけです。
だから、「今を楽しみ」ましょう。
ペットに喩えるなら、殆どのペットは飼い主を置いて先立ちます。
それを理解した上で、ペットが元気な時期を楽しめば良い(それで満足するしかない)のです。
諸行無常。
喜びも悲しみも、台風や季節ように必ず過ぎ去るのだと理解した上で、夏には夏の恵み、冬には冬の幸を味わいましょう。
追記
妄想雑念の激流に流されやすい意識を「今・ここ」の島(安全地帯)にサッと帰すようにした方が良いですね。
マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想をやってみてはどうでしょうか。
あとは、普段の生活で歌や念仏を口ずさんだり、音楽や聞く読書を聴くなども、リラックスしながら今を楽しめます。
「今」とは秒単位の現在です。
人は、悲しいお葬式の休憩時間でも、雑談で笑えます。
「お葬式のときに不謹慎」とか思って何時間も笑わないのは良くありません。
悲しみや怒りにも「すき間」がある。楽しいすき間を作りましょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
今を楽しむ、ができない状態から抜け出したくこちらに書かせていただきました。
もしそちらについてご助言いただけるようでしたら宜しくお願い致します。